白蝶Chapter 1 Hobbit編
スキラ

第七話 ドワーフが君

 そう遠くない昔――サウロンが唯一なる指輪を鍛え、小さき人々を虐げる少し前のことである。私はミスランディアを介して一人の男と出会った。空色というより、濃紺の夜半に類した毛皮付のコート、綾なす刺繍の上は口元を覆う髭に、黒々とした剛毛。ブリー村にて成り行きで出会った男は丈低く、「少年」と揶揄される私とも、ほぼ変わらぬ身丈であった。  私は男の中に小さき人々と近しい要素を見出した。しかしパイプ草を愛する彼らとの決定的な差異は、一目でわかる頑強な身体だ。ドワーフ族の男は、単なる鍛冶細工師にしては気品に満ち、闘志迸るまなこはどこか傲慢ですらあった。 「紹介しよう、スキラ。青の山脈に住まうドワーフの王、トーリン・オーケンシールドじゃ」 「トーリンだ。お初にお目に掛かる。スキラ殿」  踊る仔馬亭の一室。久しく会っていなかった魔法使いと夜を語り明かすべく予約した部屋で、小男は尊大に腰を曲げる。まったく、ドゥリンの子孫トーリン・オーケンシールドはドワーフの典型であった。気位が高く、一度受けた屈辱と恩義は忘れない。トーリンは自分がエレド・ルイン〈青の山脈〉に住まう郎党の頭領であり、魔法使いの助言を請うべく彼と落ち合ったところだと自己紹介した。  青の山脈といえばホビット庄北西に位置する山脈だ。この辺りでドワーフを見かける回数が増えたのは、そちらから出稼ぎに来ているのだろう。ベッド脇の椅子に腰掛けてパイプを吹かす魔法使いへ一瞥をくれ、簡素な挨拶へ会釈を返した。 「スキラです。呼び捨てでどうぞ。宜しく」  イシルドゥアが図らずも悪を打ち倒して数千年。成りを潜めていたドラゴンが再び活動を始め、我が同族は従うべき冥王もなく、好き勝手にドワーフの財宝を奪った。標的のひとつ、はなれ山もたいした被害を受けて全壊状態だと風の噂で聞き及んでいる。かのドワーフも家を奪われた一人なのだろう。 「ミスランディアを助言者に選ぶとは、トーリン殿はお目が高いですね。良き助言が得られますよう」  私が頼んだ食事はまだ運ばれてきていなかった。が、素早く出入り口までの通路を確認する。魔法使いは素知らぬ顔でビールを嗜んでいるも、明らかに面倒事の香りがした。なんたって私がこの宿を訪れたのは、魔法使いが再会を願ったからだ。その彼が待ち合わせ場所で真剣に思い悩むドワーフを紹介する。しかもただのドワーフではない。彼は一族の王だ。となれば、切れ者のミスランディアが一点の曇りなく、純粋な好意で私に会いたがったとは思い難い。 「あー……あの、いま用事を思い出しました。急いで帰らなければ」 「そんなはずなかろう。おぬしはわしに会いに来たのじゃから、わしが良いと言うまで帰ってはならんぞ」 「私もそこまで暇じゃないのです」 「ほう? つい先ほど、今日は朝まで語らおうと景気よく言い放ったのはどなたじゃな?」  容易く逃げられると考えていなかったが、ぐうの音も出ない。ミスランディアは裾長き私の衣へ杖を引っかけ、ドワーフの眼前に引き摺り出した。 「おぬしほどの人格者が悩み多き輩を見捨てて帰るなど、友が聞いたら泣くじゃろうな。良いから話を聞いてやるのじゃ。わしは既に彼の館へ数日滞在し、王の悩みを拝聴しておる。彼の決意は固いようだが、この件に関しては専門家の意見を取り入れたい」 「専門家とは」 「彼の話を聞けば分かることじゃ」  むしろ私が泣きたかった。灰色の放浪者は尊敬に値する魔法使いである。だが、不自由なく、悠々自適な生活を理想とする私といささか価値観が合わないのだ。彼は世に言う面倒事を率先して引き受ける苦労人だからだ。  逃げられぬと悟った私は、渋面の男へ向き直った。トーリンは小さき種族の中でも丈高きドワーフなのだろう。同じ目線ではあるものの、彼と私では体格差があり、強き眼孔に圧倒されてしまった。 「……ミスランディアはああ仰ってるんですが、私なんかがあなたのご相談を受けても宜しいものでしょうか」  するとトーリンは僅かに小首を傾げ、 「私はガンダルフを信頼して相談を持ちかけた。その魔法使いが全て話せと言うのなら、従おう」  殊勝な心がけである。だがドワーフの目は、逃げ腰の私を気に入らぬ様子だ。彼は獲物を品定めするように頭の先からつま先まで眺め、ぽつりと一言。 「しかし……これが例のホビットか」 「げほっ」  盛大な勘違いをされている。ミスランディアは吸い込んだばかりのパイプ草を咳き込み、目元に涙を溜めた。誰であるか。事前にホビットと紹介していたのは。私は敢えて反論せず、ただ、魔法使いへ冷ややかな視線を投げた。 「誤解じゃ。わしではない。たまたまホビットの話をしていたから、そう思われただけじゃろう。トーリン殿、こちらは例のホビットではない。たしかに小柄じゃが、スキラはそう、えーと……人間の子供じゃ」  最後の単語が余計であるが、まずまずの弁解に気持ちを抑える。子供に見えるのは致し方ないことなのだ。住み慣れたかつての世界では平均身長だったものの、こちらは恵まれた体格を誇るドゥネダインの系譜や、長躯のエルフなど、上を見ればきりがない。私は魔法使いが敢えて「人間」と紹介したことに某かの意図を読み取り、大人しくそれに習った。 「それで……どのような相談事なのでしょう。私ではたいした力になれると思わないのですが」  信頼関係を築くべく、掌を相手に向けて話を促すと、ドワーフの君は淡々とした語り口に痛恨の思いを滲ませて心情を吐露した。 「相談というのは他でもない、我が故郷、エレボールのことだ。偉大なるドワーフの王国、エレボールは悪しき竜に滅ぼされた。我々は最悪最強のスマウグに手も足も出ず、孤立無援で中つ国を彷徨い、幾多の苦難を乗り越えて青の山脈へ腰を落ち着けた。だが百年前だ。我が父、スライン二世が単身はなれ山へ乗り込むと告げて、それきり消息を絶ったのは。……いや、みなまで言わないでもらおう。そうだ父は愚かだった。スマウグに単身立ち向かうなど、無謀すぎる。だが私は分かるのだ、父がどれほど帰郷を望んでいたか。エレボールの復活をどれほど恋い焦がれていたか」  トーリンは一息に告げ、煮え切らぬ思いを飲み込んだ。話の雲行きが怪しい。私はこの先を聞くのが憚られた。エレボールの復活とは、すなわちドラゴン退治を指す。しかしドワーフの君のこれほど思い詰めた様子では、周囲の反対を押し切っても断行しそうである。魔法使いがどうして彼と引き合わせたがったのかうっすら理解し、重い吐息が漏れ出た。 「我々は、取り返さなければならぬ。我らが故郷を。そして長きにわたり積み重ねた財産と、殊に、アーケン石をよそ者に取られることだけは、なんとしてでも防がねばなるまい」 「そう、隠密に、誰にも気付かれることなく、じゃ」  トーリンが言い忘れた部分をミスランディアが補足する。どうやらトーリンは隠密に行動することが気にくわぬらしい。彼はドワーフの王として挑戦状をたたきつけた上で喧嘩を仕掛けたいのだ。だが魔法使いの主張は道理にかなっている。中つ国に生き残っている竜はみなグラウルングの子孫である。かの狡猾さを引き継ぐ彼らに、正攻法が上策と思えない。彼らが冥王より授かりし叡智は他の種族を圧倒しているのだ。おそらく、邪智深いドラゴンに知恵で対抗できるのは魔法使いくらいであろう。  したがって、灰色の放浪者が考案した作戦は尊重すべきだとそれとなく持ち上げると、魔法使いはしたり顔で頷いた。 「嬉しいことを言ってくれるものじゃ。そしてトーリンよ、その賢明なガンダルフは、スキラ殿に助力を請うべきだと助言を授けよう。果たしてドワーフにドラゴンを倒せるものか、名うての専門家に問うが宜しかろう」  褒めなければ良かった、などと考えてはいけない。だがドワーフは晴れぬ面で私と魔法使いを見比べる。 「しかしガンダルフ、先から気になっていたが、スキラは何の専門家なのだ」 「それはもちろんドラゴンの――ドラゴン討伐の専門家じゃよ」 「ごほっげほげほっ」  今度は私が吹き出す番だった。知らぬ間にご大層な肩書きを付けられている。そのような肩書きを一度も名乗った覚えはないのだが。こうして私の自由気ままな生活が崩れていくのだろうと脳裏を過ぎる。出来ればそっとしておいて欲しかった。たしかに私は呪いを受け入れたが、痛いこと、辛いことはごめん被りたい。私は冥王側でもなければ、率先して味方側でもなかった。どちらとも言えないのだ。人間なのか、ドラゴンなのか、自分があやふやな存在である以上。 「とっても誤解を招く言い方なんだけど……」 「なにを言う。おぬし以上にドラゴンに詳しい人間がいると思うてか」 「確かに私はそれなりにドラゴンについて詳しいと思いますけど、それなら只の専門家って言えば良いと……むしろそう言ってくださいよ」 「いいや、おぬしはドラゴン討伐のエキスパートじゃ」 「だから、ミスランディアってば……!」  元々私は口が達者ではない。相手を説き伏せる技術はミスランディアのほうが何枚も上手であり、議論を重ねる度に泥沼へはまっていく。ドラゴンなど一体も倒したことがないのだが、彼は聞く耳持たなかった。頑固なのだ、この人も。老人の成りをしているくせ、熱血頑固とは可愛いらしいが、そこに自分が絡むとなると話は別である。私は痛むこめかみを押さえ、嘆息せずに居られなかった。  トーリンは私達が口論を始めたあたりから憮然と腕組みしていたが、業を煮やして口を差し挟んだ。 「……で、お二方、話を戻しても宜しいか」 「ああはい、ごめんなさい、どうぞ」  曰く、彼らはとあるホビットを連れて行く予定らしい。平和を愛して止まぬ種族が果たしてのこのこ付いていくか疑わしいが、ドラゴンは小さき人々の匂いを未だ知らない。だからドラゴンの近くで行動するのにもってこいだと言う。 「それって、ホビットにドラゴンを倒してもらうってことですか」  無茶である。連れて行かれるホビットが可哀想だ。だがトーリンは被りを振り、あくまで隠密に行動する時だけだと弁解した。 「じゃあドラゴンを倒すのはドワーフ……それでも危険なことに間違いありませんよね。何か勝算はあるのですか」  にわかに意味深長な空気が流れた。ミスランディアがパイプを加えたままもごもごと語る。が、何を言っているのか聞き取れない。どうしたのかと問うと、たっぷり長い沈黙の後、トーリンの鋭い視線が私のそれと交差した。 「スキラはドラゴン討伐専門なのだろう」  時間が止まった――気がした。いつぶりだろう。こんなに冷や汗が止まらなくなったのは。エルロンド殿やグロールフィンデルに「戦争へ出す」と公言された時以来かもしれない。魔法使いやらエルフやら、ヴァラールの民は謀略を練るのがお好きと見える。グラスに注いだ氷を指で掻き回しながら、私はこの部屋から脱出する算段を企て始めた。 「……いいえ、いいえ、違いま」 「トーリンよ、気にするでない。こやつは恥ずかしがっているだけじゃ」 「いえ、ですからまったく違」 「ええいスキラ! その半分上げた腰を下ろし、しっかり座るが良い。良いか、わしがそうと言ったらそうなのじゃ。……たまにはわし〈友〉の頼みを聞いてくれ」  ――しかるにおぬしはスマウグ討伐に手を貸し、トーリンの力となれ。  灰色の魔法使いは巨大化し、猛々しく眼前に立ちはだかった。しかしミスランディアは、己が何を強いているのか理解しているのだろうか。ドワーフの故郷を取り戻す手伝いは一向に構わない。だが、「私」が「ドラゴンを倒す」のは、人間やドワーフが竜を倒すこととまったく訳が違う。多少屈折した愛情であっても一応はグラウルングに愛でられ、ドラゴンとして生きてきた身にしてみれば、同胞殺しと変わらないのだ。人が人を殺すことを厭うように、私も竜殺しはしたくなかった。姿形が違えど、人も竜も同族だと思っている――いや、そう思っていたかった。  互いの思いが交錯して、剣戟を交わし、誰ともなく離れていく。恐ろしいことだ。避けるべきことだ。かつての私は人殺しなどしたこともなかったのに。どうしてこうなったのか。戦いなど大義なだけだ。のんびり生きられればそれで構わなかった、はずなのに。  一方的な言い分に口を閉ざすより他なかった。魔法使いが何か別の思惑で動いていることは確かだ。彼がサウロンの監視役として中つ国に派遣された魔法使い〈イスタリ〉であるゆえに。おそらくこの討伐話も、単なる親切心から生まれたものでなく、いつしか復活せんと切々と機会を伺うモルドールの影を意識してのことだろう。大局を見ぬものは滅びる――それが彼の行動指針であり、世界の理だ。 「少し、考えさせてください」  現金なものだ。こんな時、帰れぬ故郷がふと懐かしくなる。光陰矢のごとし、途方ない月日が経ち、ほとんど記憶にも残っていないというのに。私は望郷の念がどれほどのものか身を持って知っていた。それが手の届く範囲にあるなら尚更諦めきれぬことも。だからトーリンの気持ちは推し量るまでもなかった。  何時間も前にグラスへ注いだ氷は、未だ溶けていない。魔法使いとトーリンが言葉を交わし、ドワーフの王は仲間を呼びに山脈へ戻ると告げた。窓越しに見上げる夜空。夜冷えする三月の月は厚い雲に覆われ、おぼろげな灯りで街道を照らす。以前なら暗すぎて道路を歩くのも一苦労だったろう。だが鼠が一匹、公道を横切ったさまを窓越しに認め、私は物憂げに苦笑した。

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