白蝶Chapter 1 Hobbit編
-ボフール-

第十二話 名にし負う

 歌好きボフール――遠征組の仲間は、つば付き帽を被る俺のことをそう呼んではお調子者のおふざけに乗ってくれる。だが俺が好む歌はエルフや高尚なやつらが好むようなご大層な内容じゃない。伝説や英雄叙事詩は万民の花形だが、そんなものより、くだらない毎日を面白おかしく描いた歌が好きなんだ。だって俺は貴族でもなければ金持ちでもないからな。財布はすっからかん、その日暮らしの生活を続けてきた俺が歌で讃えるべきものがあるとすれば、ドラゴン退治へ参加する程度のささやかな冒険心と、日がな一日流れゆく日常くらいなものか。  しかしそれが俺の凡てと思ってもらっちゃ困る。こんな俺だって時にはおとぎ話級の歌を奏でたくなるものさ。たまたま心の琴線に触れる出来事が少ないってだけで、裂け谷や酷い迷惑を被った巨人の雷合戦は後世へ歌い伝えるに相応しい素材だと思う――ああ、あの光景を見る前の俺はひとえにそう思っていたよ。  冒険ってのは心底面白いものだ。たった一日で何度も考えを覆される出来事が起きるのだから。始めは雷合戦、お次は汚らしいゴブリン町、かと思えばオークに追われて殺され掛けると多事多難。今日一日で何度考えを改めたか分からない。だけどそれは序章に過ぎなかった。世の中にはもっともっと驚くべきことがあったのだ。  ボフールのくせに大袈裟だって? それは話の先を聞いてから言うべき台詞だ。俺は見てしまったんだよ。只ならず、大鷲が人間へ姿を変えたのを。誰がって言わなくても分かるだろう。人間は仲間内で一人だけ。そう、スキラだ。  ――まったく、信じられないよな! 分かるよ。人間だと思ってずっと一緒に旅していたやつがいきなり変身したのだ。俺だって、ゴブリン町へ落下した時にしたたか打ち付けた頭がイカれたかと訝しんだくらい。だけど、俺の真隣、同じ大鷲の背中で寛ぐスキラが白い大鷲から人間へ姿を変える場面をこの目で見てしまったのだ。 *  ことの発端は今から数刻前。ビルボがトーリンを庇い、ドーリとオーリがあわや崖から滑り落ちそうになった頃まで遡る。俺はあの時、最後の大木へ必死にしがみついていた。燃えさかる葉叢をそよがす秋風、意識が冴え返った時は既に数匹の魔狼が大鷲によって崖下へ投げ出されていた。  思い掛けぬ救援者に興奮する仲間、俺達の重みに軋む木々、悔し紛れで喚くアゾグ。それらに混じってけたたましい啼き声が天をつんざいた。猛禽類だ。そして彼らのうち数匹が俺と同じ言語を操り、始終言い争いをしていたのだ。 「ニムダエ、ワシどもに触れるな。もっと離れろ!」 「ちょっと羽先がぶつかっただけですよ」 「そのちょっとも勘弁ならんから言っておるのだぞ」  片方は聞き覚えがある。そいつは、後から遅れて合流するはずだったのについぞ地下で再会を果たせなかった相手。さしてドワーフと背丈が違わぬスキラ少年である。行方不明の仲間が無事であることに安堵して火海へ目を凝らすも、それらしき影は見当たらない。どこだどこだと目を走らせると一匹の白鷲が視界を遮った。他のそれより幾分小柄だったよ。俺はなんとなくその大鷲が知り合いのような気がして、つい目で追ったのだ。  すると、どうなったと思う? それはくるりと後転したと思えば、黄色い脚から腰、白い胴体、嘴がある顔、そして翼だった部分が人の御姿へ取って変わったのだ。なんてこった。敵のまっただ中へ着地した人はスキラそっくりじゃないか。さだめて容貌が似ているだけかと少しもまじろがず見尽くしていると、白鷲だったそれは億劫そうに艶やかな黒髪を撫でつける。はからずも我らが王の宿敵、白い魔狼に跨がる片腕のオークと対面したその人は相手を見定めると蒼白なかんばせを引きつらせたのだった。 「あ、あれ……? もしかして……アゾグ?」  ご丁寧に敵前へ着地してどうする。しかし間怠い口調で確信した。あれは間違いなくスキラ本人だって。命を掛けた局面であの暢気さはそうそう出せたものじゃないしな。穢れの王は舌なめずりをして小さなそれを見極めたが、やにわに俺は、窪んだ鼻翼の上、仄暗い瞳の中で、捕食者を前にした小動物に類する怯えがうち過ぎるのを認めた。 「自ら死地へ飛び込む愚か者はどんなやつと思えば、これはこれは……よく来たな、我が同胞よ」  穢れの濁声が甘ったるく囁く。しかしスキラは口をぽかんと開けたままだ。それから、しばしの静止。 「私たち、どこかでお会いしましたっけ」  おいスキラ。なに悠長に会話してるんだよ。交流の輪なんて広げなくていいから、壁のようにお前を取り囲んでいるオーク達をどうにかしたほうが良いんじゃないのか。けれど多勢に無勢である。穢れはいたぶるように間合いを詰め、少年を追い詰めていった。だからいよいよスキラも戦うのだと思うだろ? その実、白き手は音もなく細剣の柄へ伸びる。不謹慎だけど俺は胸を高鳴らせたよ。彼は何気ない顔で俺達へ同行しているが、意気揚々と剣を振う姿は滅多に見られないから。  けれど期待したことほど外れるもの。遠征組が誇るドラゴン討伐専門家は剣を抜くどころか一切戦おうともせず、オークの頭を踏みつけて跳躍、崖へ向かって身を翻したのだ。 「それではご機嫌よう!」 「ふざけるな貴様!」  少年の間抜けた振る舞いが逆鱗に触れたようだった。スキラはたまにそういうことをしでかすのだ。敵の神経を逆撫でするというのか。やる気がなさすぎて逆に挑発しているように見えるらしい。アゾグは素早く逃げ道を塞いだかと思えば、煮え滾る怒りに胸を膨らませた。 「どこかでお会いしました、だと? この俺が同胞の匂いを嗅ぎ間違うと思うてか」  敵はそれを侮辱と取り、頑健な棍を垂直に振り下ろした。でぶっちょボンブールに負けず劣らず菓子好きな少年は体を躱わして猛攻を避ける。それは地面をいびつに抉ったが、穢れは息つく間もなく重たい一撃を畳み掛けた。 「馬鹿にされたものだな。俺はお前のことが分からぬ三下オークではないぞ、ニムダエ!」  見ているこっちがハラハラする。ニムダエだか同胞だか知らないが危ないだろ。勇猛果敢なトーリンでさえ叶わなかった相手だ、こうもでかい凶器を振り回されちゃスキラとてひとたまりもなかろう。 「いやいや。同胞じゃないですし……」  苦虫を噛み潰した顔でスキラが息衝いた。確かにあんな輩へ同胞呼ばわりされるのは嬉しくない。だってどう見ても違うだろ。スキラは聖なる大鷲の仲間なのだから。  ゆくりなく白鷲から表情が剥がれ落ちた。文字通りふっとかき消えたんだ。それは炉の火が開かれたように火勢を増し、劫火に縮れる木々の残滓を凍て付かせ、俺は自分が睨まれた訳ではないのに肌が粟立った。そしてどうしてだろう、冷え冷えとした果てしれぬ無感情はアゾグの残酷な笑みよりずっと凶暴に思えたんだ。  さながら猛禽類のような気味悪い閑けさが穢れへ向かって放たれ、融けていった。堂々たるアゾグの目はさあらぬ方へ向けられ、それとなく狼狽する。あいつを乗せた魔狼は我にもなく後退り、 「あくまで素知らぬ振りをするか。だが分かっているだろう、ドワーフは騙せても同胞は騙せんと」と穢れは強がった。すかさず「誰かを騙しているつもりはないですが」とあしらい返すスキラ。すると白いオークは、 「はっはっは。それでこそ柊郷のニムダエだ。見え透く詭弁こそお前たち種族の得意とするところだからな」と同胞と呼ぶ相手から出づる詭弁の断片を受容し、弓なりに引き絞った。  俺達を騙す? スキラが? 大鷲であることを黙っている件だろうか。と、折節、少年の答えを遮るように鋭い気勢がこだました。やぶらかぼうにフィーリがアゾグの眼前へ飛び出したのだ。雄々しく現われた金髪の若きドワーフは鋭い剣戟を操り出し、白鷲と穢れの間を引き裂く。平仄が合いすぎていると思ったのは俺だけか。甥っ子はスキラの腕を掴むと己の背後へ庇い、祖先の仇敵と差し向かって白刃を煌めかせた。 「危ないからスキラは下がってるんだ!」 「フィーリ? 一体どうし」 「いいから。怪我をしたら大変だろう。ここは俺に任せて」  俺の疑問をスキラが代弁するも凛々しい一声にかき消される。さながらフィーリは姫を護る騎士――少年を護る騎士だから違和感しか残らないが――であり、俺は胸を打たれた。さすが王家の一人だ。よしいいぞ、そのまま倒せ! そう思うも、アゾグは流れる斬撃をいなして引き際を見極め、 「俺は、無闇にニムダエへ手を出すほど愚かではない。だが我らが主は覚えているぞ。お前がかつてそちら側へ付いたことを。万劫末代、決して忘れるものか」  聖なる白鷲は何の言葉も返さなかった。アゾグが幾度も繰り返す「ニムダエ」とはスキラの別名なのだろうか。敵が顔を背けて退却の合図を出す。だから、兎にも角にも無事で安心したと駆け寄ろうとした途端だ。俺は身に覚えのない浮遊感に包まれた。  あれよあれよという間に靴裏が大地から離れていく。俺は別の大鷲に捕まっていたのだ。ちょっとおい。良いところだったんだから邪魔するなよ、なんて文句は通じない。巨鳥はあらかたオークを排した後、仲間達を落下の危機から救い出して悠然と風へ乗った。  ああ、それが俺や鷲にとって災難の始まりだったのだろう。未だ崖に残されていたスキラは、好機とばかりに大鷲の脚へ飛びつき脱出を計ったのだ。そっから先のことは思い出したくもない。勘弁してくれ。今こそ大鷲は平常心で飛んでくれているがスキラが飛び乗った時のあいつは気が触れる寸前だった。俺も生きた心地がしなかったよ。なんたって大鷲は、「やめろ! ワシの脚に触れるな!」と騒ぎ立てスキラを振り落とそうとするんだ。 「だってみんな私を置いていくんですよ、こうするしかないじゃないですか」 「当たり前だ、誰がお前など拾うものか。自分で飛べと鷲の王に言われたばかりだろう。まかりならぬ!」 「散々往復して疲れているのに」 「ワシどもの知ったことではない!」  ああああ。揺れる。ひっくり返る。胃袋の中身が掻き回される。俺の足元で大鷲は大暴れした。彼は異物を振り払うことに必死で、もう一人乗せていることを忘れているに違いなかった。俺は絶叫して羽毛へしがみついたよ。またぞろ、なんだって今日はこんなに回転してるのだ。ゴブリン町へ落下した時も何転かした気がする、とこみ上げる吐き気を抑えるので精一杯。ガンダルフが哀れなドワーフを案じて一言添えてくれなかったら、俺の大鷲は目的地へ着くまで延々と大回転を演じていたことだろう。 「親愛なる大鷲よ、大立ち回りは控えてくれんか。ドワーフが一人青ざめていまにも死にそうじゃ」 「ええい、しかしガンダルフ。脚に纏わり付くこやつが」 「そこをなんとか我慢してくれぬかの」  俺は水平状態がこれほど素晴らしいものだと知らなかったよ。空に憧れた時期もあったが、やっぱり大地に根を張って生きるドワーフが性に合っている。「忌々しい。ニムダエの癖してワシの背に跨がるなど」とぶつくさ不平不満をぶちまける声も耳に入らず、ようやくひと心地ついて今に至るのだった。  「た、助かった……おえっぷ」  誓ってもいい。金輪際、こいつに乗るものか。それにしても、それにしてもだ。スキラが大鷲の仲間だったとはなあ! 俺は胸が打ち震えたよ。大鷲の伝説は読み聞いたことがある。悪の権化、ドラゴンへ対抗出来得る唯一の翼種。はた迷惑な大回転に巻き込まれたことはさておき、憧れの存在に相違ない。しかも白い鷲。なんと美しいのだろう。脚をよじ登って来たスキラの隣へ並ぶと感動で胸を締め付けられた。 「ごめんボフール。酷い目に遭わせてしまって。彼は私と反りが合わないらしくて」  他種族への心配りを忘れないところがまた心をくすぐるってものだ。俺は感無量でスキラの片手を両掌で包み込み、 「全然大丈夫だ。それより、これはぜひとも歌にすべきだと思うんだが。この感動を音楽に乗せてみんなに聞かせてやりたい」と愛用の笛を懐から取り出そうとしたが、ゴブリン町に捨て来てしまったことに気が付いた。すると少年は瞳を白黒させて、なんのことだと問う。だから「歌だよ、歌。これこそ後世へ引き継ぐべき内容だと思うんだ」と情熱を込めて力説した。 「はあ。後世に? 歌?」 「うん。俺が作曲で、スキラが歌詞。どんな曲調がいい? やっぱり明るい曲がいいと思うんだよな。愉快で面白くてさ」 「あー……ボフール?」 「始めの歌詞はこれが良いんじゃないか。大鷲なる白き影、おまえ、そはスキラなり――」 「だからちょっと待った。どうして私が白い鷲という設定になっているんです」  鼻の穴と口を同時に塞がれ目玉をひん剥く。それから俺はやっと我に返り、一部始終を見ていた旨を告白した。 「だから見たんだよ。スキラが大鷲から人間になるところ。人間が大鷲になるのか? 大鷲が人間になるのか? どっちでもいいよな。とにかく感動したんだ!」  二人を乗せた大鷲が小さく嘲った気がした。おいおい馬鹿にすることないだろ。せっかく素晴らしい発見をしたってのに。失礼なやつだよなと同意を求める。けれどその人は困ったように柳眉を垂れ下げただけ。人差し指を唇へ当てて声を潜める彼は、お願いがあるのだけど、と少女のように愛くるしい口元を緩めた。 「さっき見たこと、誰にも言わないで。二人だけの秘密にしてくださいませんか」 「なんでまた。大鷲だって知ったらみんな喜ぶぞ」  正直なところ、トーリンの励ましになるのではと思ったのだ。心がうち震えたのも事実だったが、それ以上に危険を顧みず竜退治へ臨むドワーフ王を力づけたい気持ちが強かった。けれどスキラはそのトーリンに知られたくないと言う。なるほど。我らが王とスキラの間には不可視の壁が存在していた。ビルボと同様に。なぜトーリンが竜専門討伐家へ気を許さないか知らないが、スキラスキラで面伏せにしたい事情があるようだ。  ニムダエ、我らが同胞――知った事実と相反するアゾグの言葉が胸裡で警鐘を鳴らした。されど俺は耳を塞いで無視を決め込んだ。 「……分かったよ。じゃあ俺達だけの秘密か。でもいつか背中に乗せてくれよな。この大鷲みたいにぐるぐる回らないで、愉しく空中ドライブだ。俺が歌うからスキラは楽器弾いてくれよ」 「飛んでたら楽器弾けないと思いますけど」 「そりゃそうか」  軽口に打ち興じて笑いの渦へ飲まれた折り、突風が吹き荒れた。スキラの髪留めが切れて大地へ落下していく。末広がりになだれ落ちた黒い裾は俺の顔を直撃し、なおのこと少年の笑いを誘った。夜明けが近づき逆光に照り出される氷雪の微笑み。その人は常に地面を擦るほど長い外套を羽織り、肩から下をすっぽりと覆い隠して、俺はもちろん、仲間も誰一人その下を見たことがなかったが、大鷲から姿を変えたあの瞬間、ひらめく上着の隙間から垣間見たその身体が妙に華奢だったことを思い出した。平たい額と堀浅き顔へ漂うエルフのような清冽さと人間のような脆さ、そして暮れ簿の裡に侵食する凶猛な光に目を奪われる。不意に、その光明は妙なる直感をもたらした。 「あのさ、スキラ。変な質問していいかな」  黒々した瞳を象る睫が瞬いた。 「その。あの……スキラって女だったり――いやいや。しないよな。あはは。ごめん忘れてくれ」  俺はずっと彼が――スキラが女性なのではと思っていた。けれど過酷な旅だ。一人だけ特別扱いしないために、敢えて少年と呼んでいるのだとも思いなしていた。だけど違ったのだ。先刻スキラを庇った甥っ子の行為は明らか今までと異なっていた。その人を女性と知った上の行動に見えたんだ。なんてこった、仲間は気付いてないだけだったらしい。  俺一人浮かれている気がして前言撤回する。しかし白き大鷲は小さな面を綻ばせてこともなげに肯う。男にしては頼りないでしょう、なんて小首を傾げて。 「ずっと気付いていなかったんですか」 「いや、俺はそんな気がしてたんだけど……仲間は気付いてないと思うな」 「大鷲といいガンダルフといい。みんなしてひどい。こんな非力そうな女の子なのに」  おい? か弱い生き物は竜退治に同道しないからな? さても誤解の連鎖はどこから始まったのか。魔法使いが彼女を「それ」「あれ」と呼ぶせいかもしれない。白き鷲、ニムダエ、女、柊郷、同胞。それひとつでは意味を為さぬ数多の単語が思考をかき乱していくも、他人の預かり知らぬ秘密を得て昂揚感が脊髄を貫いた。トーリンは女と知ったらどうするのだろう。未だ意識を取り戻さぬ王を慮りながら俺は弾む心を抑えられなかった。

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