藍傘Night 1 花散嵐
第六夜 玉霰
「永倉史桜と申します。どうぞお見知りおきを」 時は新選組局長が近藤へ交代したばかり中秋。折り目正しく礼をした少女は自らを「永倉新八の妹」と名乗った。筋骨逞しい兄と逐一比べてしまうせいだろうか、男所帯の中で居住まいを正す彼女はひどく繊細に見えた。 「なんと、この美しい御仁が新八の妹さんだとは。これはこれは、遠いところからよくぞいらっしゃいましたな」 「へっへー。そうだろそうだろ! お前らもよっく見とけ、この目元なんか俺に似て超美人だろ!」 史桜の隣に腰を降ろし、久方ぶりの再会をデレデレとあられもない表情で喜ぶ新八。妹へ向けた賛辞のはずなのに結局自画自賛に辿りつくところはさすがと言うべきか。近藤の側に控えていた土方は苛立ちの色を隠そうともせず鬼の形相で喝を飛ばした。 「新八ぃ! 無駄口叩いてねーで黙ってろ! 今俺たちは大事な話をしてんだ!」 「んだよ、俺たちだって大事な話があるんだよ」 「何が大事な話だ! てめーときたら開口一番『美人兄妹だろ!』から始まり、結局ずーっと自分の自慢しかしてねぇじゃねーか」 「良いものを自慢して何が悪いんだぁ?!」 抜刀寸前の土方と新八。史桜はぎょっとして守りの体勢に入ったがすぐに山南が二人の間に割って入った。 「その辺にしてはいかがですか。お客人が困っていますよ」 新選組総長に逆らえる人間が居るはずもなく。史桜も兄の表情を盗み見て山南という人間には逆らってはいけないのだ、と心に留めおいた。 「斉藤君、何があったか話してください」 「わかりました」 山南に促された斉藤の話は、花街での会合から始まり、異常な回復力を持った人間の下りまでとうとうと語られた。仕舞いまで来ると土方はあからさまに顔を歪める。広場には近藤、土方、新八、斉藤、山南のごく一部の幹部しか居なかったが、いつの間にかみな神妙な面持ちで拳を握りしめていた。息苦しい重たい空気を破ったのはやはり副長だった。 「それで、やつらを始末出来たのか」 「はい。彼女の言うとおり心臓を一突きにすると、絶命しました」 「そうか」 皆の視線が新八の妹に集まる。史桜は居心地が悪そうにうつむき視線を這わせた。今、誰もが――史桜以外の誰もが、同じ疑問を抱いているはずだ。分かっているのに口を開こうとしない山南の代わりに、土方は渋面で史桜に向き直った。汚れ役は決まって副長の仕事だ。こんな少女を尋問するみたいな真似は心が痛んだが土方は腹を決めて鋭く問うた。 「あんたは、新選組宛の書状を持ってきたと言ったな」 「はい」 「幕府からの、密命か」 少女は黙っている。その沈黙が彼女の答えを明瞭に物語っていた。驚きを隠そうともしない近藤と新八へ、斉藤は「相違ないだろうな」と頷いた。 「な、なんでそう思うんだよ?」 「簡単なことだ。彼女の追っ手は長州の人間だった。将軍のお膝元である江戸で働いていたことからも、彼女は幕府側の人間と考えてまず間違いないだろう」 それから居合いの志士は一旦口を閉ざす。上出来とばかりに山南が微笑み百点満点のよどみない解説を引き継いだ。 「斉藤君や永倉君が出会った不可解な者たち、そしてその弱点をよく知る者の出現。……それも同じ日に、なんて偶然じゃあり得ませんよ」 これは新八たちはまだ知らないことだが、近藤、土方、山南の三人は幕府内で秘密裏にささやかれる『化け物』の存在を耳にしていた。今回のことから考えても間違いない。彼女は幕府がひた隠しにする『化け物』に関する密書を届けにきたのだ。幸か不幸か、その密書は新選組の進退に深く関わることになるだろう。 「さすがは幹部の方々です。それだけお分かりでしたら、前置きは必要ありませんね。……そうです。今回、私がわざわざこちらまで来たのは幕府からの密命を届けるため。その密命とは『羅刹』をつくりだす羅刹化計画への協力、及び実験中の薬を持ち逃げし、京へと逃げ込んだ人間の抹殺です」 史桜は内心、彼らを怖いと思った。あらかじめすべてを知っていたのではないかと勘ぐってしまいそうな観察眼。新選組は荒れくれ者の集いと見下されている節があるが、馬鹿に出来たものではない。彼女は懐から書状を取り出した。丈夫な和紙は激しい逃亡劇の中でもその存在をしかと保っていた。面々は聞き慣れぬ単語に首を傾げる。ただ一人、山南だけが先に続く言葉を予想できた。冷たい光を隠すように取り繕われた微笑みがかすかに曇った。 「『羅刹』というのは、斉藤君や永倉君が出会った者のことですね」 「はい。ただ、抹殺の仕事は既に終えたみたいですが」 先の事件を思い出させんと兄を見遣る。逃げた者たちはやはり薬を飲んでしまったのだ。副作用を熟知する彼女は思い出す度に胸の奥がきしきしと軋むような気がした。それから、西洋からやってきた「変若水」と呼ばれる薬のこと、幕府がそれで軍隊強化を望んでいること、実験を手がけた医師のことを掻い摘んで説明する。詳しいことは上の方と直に話してほしいと締めくくると、近藤は嬉々として瞳を輝かせた。なにせ彼は幕府至上主義だ。幕府たっての頼みをわざわざ断るような真似はしまい。長年のつきあいからか、土方は幕臣との談義の結果が目に見えるようだったが、得体の知れない物――外国品ときけば尚更――に関わることに抵抗を覚えた。 「うむ、さすがお上である。これからの時代をしっかり見据えているのだな」 「……そうかあ? 近藤さん、俺はどうもきなくさいと思うがな」 「そう言うな、トシ。わざわざ新選組をご指名くださったのだぞ、恩義に報いらず何とする」 だが、それまで黙り込んでいた新八までもが抗議の声を張り上げる。 「いや、近藤さん、俺も反対だ。軍隊強化っていやぁ一見聞こえは良いが、あんたは『羅刹』ってやつの実物を見てない。あんな物を作り出す手助けなんてそう簡単に決めていいことじゃねぇと思うぜ。なあ、斉藤?」 「今回ばかりは俺も新八に賛同しま す」 幹部が揃って異議を唱えたことにさすがの近藤も思いとどまったようだ。だがなあ、と土方に助けを求める。濃紫の着物に身を包んだその男は板挟みになってますます眉間のしわを深くした。 「これは危険な賭けだ。断って安泰の道を進むか、受け入れて茨道を進むか。史桜と言ったか。あんたもずいぶんな案件を持ってきてくれたもんだぜ」 少し考える時間をくれ、と気だるげに手が振られる。それから山南に目配せをすると、それくらいの時間はあんだろ、と更に念を押した。 「かしこまりました。お上からも、三週間の検討猶予を与えよと仰せつかっております」 「そうか……三週間か」 それまでしばらく客人として留まってくれ、そう告げて土方は黙り込んだ。史桜はほっと一息ついた。三週間も敵意に満ちた視線を浴びるのは苦痛に思えたが断られないだけまだマシだ。なにせ失敗作の失態を知られている以上、話合いの席を設ける前に頓挫する可能性もある。だが、可能性は低いとはいえ考慮してくれるというのだ。急かして全て台無しにしてしまうのはもったいない。お開きとばかりに斉藤と新八が立ち上がった。後をついて行くと史桜は滞在中の部屋をあてがわれた。 「隣が俺の部屋だ。就寝時間とか飯の時間は呼んでやるから、ここにいる間は隊則に従ってくれな」 足りない物はないか、一人で出歩くと危ないから気をつけろ、ほしいものがあればすぐにもってきてやる、など甲斐甲斐しく世話を焼く新八はまさしく妹思いの兄であった。斉藤は「仲の良い兄妹」という印象を抱き、平助に対する面倒見の良さはここから来ているのかと思い当たった。なにせ新選組の人間は特殊な環境にある人間が多い。家族を捨てた脱藩浪人、高貴な人間の私生児――良き思い出を持ってる者は決して多くない。自分から言い出さない限り互いの家について触れない、という暗黙の了解が隊内にあるだけに、新八の姿は新鮮だった。 「今日は遅いからもう寝ろよ。朝飯に遅れたら食いっぱぐれるぜ? ……んじゃな、おやすみ史桜」 「はい。おやすみなさい、兄様」 土方や近藤の前では良家の娘らしく振る舞っていた彼女も新八の前では一人の少女だった。斉藤は新八の後を追おうとして、足を止めた。何を思ったのでもないが、純粋な興味を持って新八の妹を観察する。歳は総司くらいか。端正な容貌をしているが格別美しい訳ではなかった。だが人混みの中でもすぐに見つけられる不思議な魅力があった。決して派手ではないのに人の目を惹く。華があるというのだろうか、その清廉な横顔は雪を彷彿させる白菊に似ていた。 史桜は黙って斉藤の視線を受け、見つめ合う僅かな沈黙の後、苦渋の決断を絞り出すようにぽつりと呟いた。 「斉藤さん……先のお話、断ってくださっても構いません」 「断る?」 「はい。構いません」 自分が持ってきた命令を断られて困るのは彼女自身ではないのだろうか。その証拠に先ほど門前払いを免れたと言う体で安堵していた。しかもだ――彼女はただの密使。決定権など持ち合わせていないはずなのに確固たる口調でそう告げた。不意に斉藤は、彼女と羅刹の組み合わせはひどく不釣り合いだという印象を持った。そしてそう感じた時には、既にある問いが口から零れ落ちていた。 「あんたに、聞きたいことがある」 その深い色の瞳に、史桜は心の奥まで見透かされてしまう気がした。真剣な声色に間抜けな返事が重なる。すると黒衣に身を包む剣士はずいと顔を近づけ逃げ道を阻むよう眼前に立ち塞がった。 「どうしてあんたがあの密書を持ってきたのか知りたい」 「それは、上から頼まれたからで……」 「ならば何故、あんたを選んだ」 「隊長格の親類だから、ではないのですか?」 少女には動揺が見て取れた。だが斉藤が期待していた反応ではない。彼が期待していたのは「言いたくないことを聞かれた」ゆえの動揺であって「自分の考えに自信がもてなかった」ゆえの動揺ではない。黒衣の武士はやや間をおいて嘆息した。瞳の中に映った無表情な顔を認めると、諦めたように身を引いた。 「いや、いい。おかしなことを聞いてすまなかった。忘れてくれ」 「……はい」 「新八の言うとおり、屯所の朝は早い。あんたがどれだけ滞在するか分からないが、旅の疲れを取っておくと良い」 罰の悪さを隠すように顔を背けた斉藤。かくして、やや悩んだ素振りを見せた後にもう一言付け加える。 「新八の妹となれば興味本位で近づいてくる輩も少なくないだろう。何か困ったことがあればすぐに俺を呼べ」 照れ隠しのような台詞に史桜は兄と同じ温かみを持つ瞳を細めた。粉雪が舞う夜に出会ったせいだろうか、彼女は斉藤を純白の雪のようだと思った。淡々とした物言い、信念を貫く潔癖さ、そして敵をなぎ払う時の鋭利な眼光がそう思わせた。しかし兄の友人だけあって根は暖かい人のようだ。それを証明するかのように彼はすれ違いざまに柔らかく囁く。その声がひどく優しくて、重責に苦しむ少女の心はふわりと軽くなった気がした。 「ああ、おやすみ。良い夢を見られるといいな」
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