藍傘Night 1 花散嵐

第七夜 落英

 秋は夕暮れと称したのは誰だったろう。紅葉に導かれた逢魔が時、八木邸の庭で一本だけ狂い咲き散り急ぐ桜を娘は全身に浴びる。以前まで猛威を振るっていた冬の足音も随分と遠ざかったようだ。日の入りと同時に鐘の音が響く屯所の中、そんな情緒も解せずひたすら隊士に喝を飛ばす鬼の副長を史桜は思い浮かべた。 「あと一週間か」  羅刹の話を持ってきてから数週間経つ。ひっ迫した内容でないにしても待つには限度がある。そう予測した上の者は「時間をくれ」と訴えるだろう新選組に三週間という期限を事前に申し付けていた。それは数日で結果がでると見越しての譲歩だったが、軽率な予想は見事はずれることとなった。一週目。新八に妹がいることが相当意外らしく、部屋の前は見せ物小屋のような有様になる。二週目。沖田の視線が痛い。沖田が飯当番の日は、極端にご飯が少ない気がする。 「沖田さんは、理不尽だと思う」  羅刹研究の矛先が新選組に向いたのは史桜のせいではない。確かに話を持ってきたのは彼女だが、彼らに託すると決めたのは将軍様はじめとする上層部。史桜を恨むなどお門違いというものだ。 「予想はしてたけど、気分の良いお仕事ではないなあ……」  憎まれ上等けんか上等、といった心持ちでいなければならないのだろうか。兄に会えるのは嬉しかったが、本当はこんな役目などごめんだった。しかし、それが他愛もない呟きだったのも確かな訳で。 「ふぅん、嫌なんだ」 「ひ?!」  すぐ後ろで聞き覚えのある声がした。屯所の中でこんなひょうひょうとした口調の人間は一人しか思い浮かばない。史桜が一番会いたくない人、一番組隊長・沖田総司。 「お、おお沖田さん! こんにちは、良い天気ですね!」 「そうだね。人の陰口を叩くにはもったいないくらいの晴天だよ」  いつからそこに、なんて訊くに及ぶまい。爽やかに放たれた痛快な嫌味に縮こまった。そんな彼女を一瞥して、沖田は黄緑色の瞳を細める。その色は斉藤とはどこか違う鋭利さを潜ませていた。 「そんなに嫌なら、帰っちゃえば良いんじゃない? 愛しの将軍様のところに、ね」  無理を承知で言う辺り相当腹黒い。逆上させて新選組の返事も訊かず江戸へ泣き帰ることを望んでいるのだろうが、彼女も伊達に新選組隊士の血縁を名乗っている訳ではなかった。史桜はそれと分かる程度に表情を曇らせ、図々しくならないよう気をつけながら柔和な抵抗を示した。 「まだ返事をいただいてないのに帰る訳にはいきません。私には使命があります」 「使命って、僕たちに外道な実験をさせること?」 「……い、いいえ」  彼女の強情さは沖田の想像を上回っていた。芯が強いと言うのか、こうして毎日いじめているのにうんともすんとも言わない。沖田は新しいおもちゃの発見に表情を和らげた。が、それも刹那のこと。縁側から降り立つと心の距離を保ったまま、桜を一身に受ける娘の隣へ並び立った。自然と生まれる高低差付きで。  ――風は、柔らかかった。無言で佇む二人の間を踊るように花弁が駆け抜けた。京の桜は江戸のものとも北のものとも違う。色が白くて、雪のようだ。沖田は腕を伸ばし、弄ばれるように踊り狂う桜を捉えた。晩秋に向かって赤と黄色の葉が敷き詰められた庭に季節を誤って目を覚ました薄桜が舞い積もる。先々週の、一足早い冬日がこの桜を狂わせたのだろうか。目の前の少女はじいと彼の挙動を見守っていた。沖田は手のひらを開き、緩く口元を歪めた。 「溶けないね」  はたと女が瞠目する。その横貌に含み笑いを零して沖田はもう一度。 「この桜、溶けない」  何を当たり前のこと言ってるんだこの人は――口にこそ出さないけれど史桜は沖田の頭を疑っているようだった。 「……溶ける桜なんて、あるんですか」 「馬鹿にしてるでしょ、君」 「め、めっそうもないです」  真剣味を帯びた声で「昼の巡察でお疲れになったんですか」と問われる沖田。彼はやれやれといった風に首を振った。 「に、してもさ。土方さんも土方さんだよね」  そして話をそらすために、否、それた話を戻すために沖田が再び口を開いた。首を傾げる少女を余所に、沖田は口を動かす。 「少し時間をくれ、だなんて。……僕らの選ぶ道なんて一つしかないのに。ほんっと、笑っちゃうよ」  自嘲と呼ぶのが似付かわしい。呟かれた台詞はとても弱々しく史桜は危うく聞き逃すところだった。変若水の話をしているのだろう。史桜は胸の奥が痛んだ。彼女が運んだたった一通の手紙が、彼らを人ならぬ道に導いていく気がしたのだ。小春日の日差しは彼らが出会った当初よりだいぶ暖かかったが、なぜかうすら寒かった。漠然とした不安がそうさせたのかもしれない。耳に掛けていた艶やかな黒髪が、一房、あどけない横顔に垂れ掛かった。 「ねえ、その貌、ちょっとは責任を感じてるって理解していいのかな」  目は口ほどに物を言う。この妹も嘘をつけない性格だと沖田は苦笑した。似たもの兄妹を比べて羨ましさを感じると同時に彼女を見ていると別種の笑いがこみ上げてくる。  「貌、ですか?」 「そうそう、それ。君のお兄さんが罰の悪そうな時にそっくりだよ」  戸惑う少女を余所に猫撫で声で囁く沖田。 「だから、みんなコロっと騙されるのかなあ」  笑いを含んだ沖田の台詞には鋭利な刃物が潜んでいた。僕は君を信用しない、黙って幕府の犬をやっていればいいんだ、そんな声さえ聞こえてきそうだ。沖田は少女の瞳に悲しみの色が灯ったのを認めた。きゅっと引き締められる繊細な口元。悲色の哀愁こそ滲むものの、その目に涙は浮かんでいない。沖田は気丈だねと小さく笑った。しかし生来の素質なのだろうか。娘の無邪気な仕草は、とうてい幕府の犬と思えぬ純粋さを感じさせる。だからこそ懐柔役として大舞台に抜擢されたのだろうが、悪者染みていない悪者というのはえてして扱いに困る。この構図ではむしろ、沖田が悪者みたいではないか。新八に見つかったらまたうるさいなぁと思いつつ、彼は嘆息した。 「はは、ごめん、いじめすぎた。ほら顔あげてよ。話を持ってきた本人がそう暗くちゃどうしようもないでしょ」  史桜はもごもごと言葉を飲み込む。何か言おうとしているようだが、上手くまとめられない様子だ。しばしの間、腹の底から呼気を出させて気持ちを落ち着かせる。それから沖田を見据えて口を開く、のだが。 「あ、そうだ、土方さんが君を呼んでたんだっけ」  わざとなのか定かではないが、史桜の決死の努力を一声で瓦解させる沖田。呆然とする少女もなんのその、肩を竦めて「ていうか君に話掛けたのも、呼んでこいって言われたからだし。こんな無駄話してる場合じゃなかった」と鼻で嗤った。  結論が出たのだろうか。ぎりぎりまで結論をのばすと思っていた史桜は驚きを隠せなかったが、どことなく沈んだ様子の沖田を見るとそうなのだろうと思う。  しかしどうしてこのタイミングで言い出すのか。ぼんやり桜を眺めていた時間も含めれば、沖田がきてから結構な時間が経っている気がするのだが。おおかた、待っている土方への嫌がらせなんだろうが、重ねて史桜にも嫌がらせを仕掛けてくるあたり侮れない人物である。彼女は思いっきりふくれっ面で彼を睨んだ。 「沖田さん、鬼と呼ばれたことありませんか」 「やだな、それは土方さんの専売特許でしょ」 「沖田さんも負けていません」 「そう? 君はそんなに斬られたいんだ」  刀をちらつかせられるとグゥの音も出ない。むろん、幕府の密使を斬るなどあり得ない暴挙。だが沖田ならやりかねなかった。無言の抵抗を示す史桜を見下ろし、からからと楽しそうに笑ったかと思うと、沖田は「ついてきて」と一声掛けて縁側へと戻った。  その折節、彼女は気づく。巡察から帰ったばかりだったのだろうか、彼は浅黄色の羽織を着たままだ。羽織が北風に激しくあおられる様はこれから新選組が辿る波瀾万丈の人生を体現しているかのようだった。長い廊下を歩くさなか、史桜は緊張で乾いた唇を舐めた。

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