君懸Record 0 追悼回想編
-モルス-

第3話 Heir to The Throne

 -王位継承者-

 ひときわ暗い冬の日だった。鋭い尖風がはりつめた叫び声をあげたかと思えば肌を撫で斬りにしていく。枯れ葉が雪原をころがり廻っては、その傍ら、一片の結晶がひらりと男の睫毛に落ちて、いずこへ去る間もなく次期王位継承者モルス王子のまなこを無遠慮に濡らしていった。 「随分と冷えるな」 「だから今日は止めろと言っただろう、モルス」 「……分かっている。だがそれでも行かなければならないんだ」  ――私を喚ぶ「彼女」の元へ。  記録によれば新暦七○二年頃のルシス領は異常な寒波に襲われ、季節を通して凶作に悩まされた忌むべき年であった。殊にあの夜はモルスが知る中で最も厳しい冷え込みを経験した日であり――彼の愛娘が誕生したあの日を除いては――とりわけ冬を迎えたこの時期は、本来温暖であるはずのあらゆる地域が大雪に悩まされていた。  それはまた、死の名を冠すモルス・ルシス・チェラムが今以て王子という身分にあり、嫡子レギスを授かっていない頃の話でもある。その日、ルシス王国の次期国王である彼は煩雑な公務を朝一番に終わらせるや、外用車をひたすら走らせ、落陽する時分には既に大陸西方のクレイン地方ヴェスペル湖へ足を着けていた。  さながら遁走するよう王都を離れた王子へ付き従うは最も信頼する盾と腕利き親衛隊の二人である。そのうち、ルシス王家と親交深い武家の忠臣が砕けた口調で尤もな疑問を零した。  「モルス。今回の外出を陛下はご存じなのか」 「さて。どうだと思う?」 「ご存じないのか? お前な、今年中にも戴冠するかもしれないんだぞ。もう少し自分の立場というものを」 「分かった分かった、無茶はこれっきりにするから。それより運転席の隊長、もっと飛ばしてくれたまえ。疾くにスチリフ遺跡の扉が開いているはずだ」  まったく二十四にもなって。そんな戒めが右から左へと通り抜ければ友人の目に呆ればかりが横溢していく。  凡てがいつもと変わらない日常だった。諌言を意に介さぬモルスが周りの目を盗んで古代遺跡を眺めに行くのも、王の盾や親衛隊が振り回されるのも――神々の使徒から言伝を授かった国王が無言のうちに揺らぐ姿も。 「道が凍っているからそんなには飛ばせないぞ」と筋骨隆々の友人が舌鋒鋭く反論した。 「無理などあるものか。王都製の車なら問題あるまい」 「……雪の降る日でなければ可能だったろうけどな。まあ頑張れよ運転手」  親友の斬り返しを受けて運転席に座す親衛隊が思わず咳き込んだ。その男は長らく隊長を務めている古株だったと思う。国王に付き従うことの多い彼とは父親と行動を共にする時分しか一緒に仕事をしたことがない。だが此度はモルスのお気に入りの部下が帝国潜入任務で留守にしていた。そのため念には念を入れて彼へ護衛を頼み込んだ次第だった。  王宮では滅多に素顔を見せぬ壮年の男がこの時ばかりに覆面を取り払うと氷室のような色白さが重い冬の日によく似合っていた。 「つうか、帰りはどうするんだ。この寒さで野営は御免だぞ。何か考えているのかモルス」  王子の隣、後部座席に腰を落ち着けるはルシス王家きっての盟友アミティシア家。 「ふむ。寝ずのドライブが良いなら私は構わないが?」 「嘘だろ……」  勘弁して欲しい、と友人。その呻きを予期していたモルスはもちろん冗談だと喉を鳴らして、 「トンネルを抜ける直前にハンター達の本部があったな。めっきり寂れてしまった小規模な溜まり場ではあるが、一晩泊まる程度なら問題なかろう」と促した。 「一国の王子がキャンピングカーで寝泊まり、か。まったく、ルシスはなかなか自由な国だよ」  ああ言えばこう言う。普段なら友人は王子の決定に晴れやかな面持ちで賛同してくれるのだが、余程この寒さが堪えるらしい。 「用事を終えたらすぐに帰る。約束するよ」  そもそもの始まりはふた月前。クレイン地方北部にある古代文明遺跡にニフルハイム帝国が出入りしている。そんな報せがルシス王家の耳に入ったことにある。なるほど、かの文明に関することならば帝国が出入りしていても別段おかしなところはない。しかし、だ。彼らは、帝国人でありはしたが、帝国軍直轄の人間ではなかった。小規模な研究者集団が内部調査にも地元の手練れハンターを雇ったという情報はやがて王宮に通ずる者皆が知るところとなった。  察するに、彼らの研究は有用性を認められず、軍を連れて来ることも叶わなかったのだ。となれば国家規模の軍事研究ではない。そう判断したルシス国王はスチリフ付近に監視を付けるに留まった。だが思いもよらぬ事態になったのはその後だ。時をおかずして神の使いと称する女が王宮に現れ――以来、国王は余命僅かな人生を深い物思いに沈ませてしまった。 「もう日の入りか。シガイに気をつけなければなるまいな、友よ」 「面倒なことだ。夜しか入れんとは。ソルハイムの連中はシガイのことをまったく考えてないよな」  一体あの時代に星の病はあったのだろうか。そんな疑問がモルスの中に浮かんでは沈む。帝国を知るためには素地となった文化を知るべきだ、と長年ソルハイム帝国について独自に調査を進めて来たのは事実だ。しかし彼が発見するのは眉唾物の神話ばかり。偽書にも載らぬ些末な口伝を書き溜めてることに何の意味があろうかと戴冠を目前にして思い悩むことが増えていた。  見返れば壊れやすい冬の短景が湖を囲う峰々の後ろへ落ちていく。さながら黄金のごとく夕づく陰ろいに、あるいは陶酔、あるいは憐憫として水樹の切れ目に下る小径を掻き分けて進めば、あかあかとした色合いが雲間の向こうへ失われていった。  やがて舞い降りた夜の帳は分厚い雲に覆われて星明かりもなかった。頭上には闇夜と分離した乳白色の大理石が広がるのみ。電灯をまばゆく反照する雪道は暗闇の中で広々とした視野を提供してくれるのだが、いっそ残酷なまでの白妙は思案に暮れる王子の胸襟をも無防備に曝け出していった。  ――それでも私は行かなければならない。  今朝、曙光と共に舞い降りた例の直感が再びモルスを襲う。あれから何度も口にした言葉が脳内にも反響していった。  ――霊廟で「彼女」が私を待っている。だから、だから、行かなければ。  繰り返す木霊は彼が初めてクリスタルと相対した瞬間に似ていた。紫水晶が放つ微かな響き。指輪と、魔力と、王が共鳴する刹那に弾む儚げな音が人間の理解でき得る単語を紡いだとすればこんな感じだろうか。と同時に、朝ともなれば薄化粧した大地を見霽かし、夜ともなれば肺深くまで凍て付かせるそれは迫り来る病魔に似ているとも思う。 「……そうだ。私は行かなければならない。ルシスの未来のため、いずれ生まれ来る我が子らのために」  ――そして、水底で私を待ち続けている「彼女」のために。  王子の決然とした口調に仲間がこれ以上文句を零すことはなかった。なかんずくそれは命令ではなかった。だがルシス国内で二番目に天へ近しい場所にいる、彼の深い暗い裡から発せられた矜持は、臣下にとって神託にも勝る強制力が秘められていた。 *  まもなくして王子一行は超古代文明の遺跡前に立っていた。夏にはあんなに酔うような色をしていた水辺も、今は見渡す限り凍り付いて銀世界の末席に腰を据えている。滅多に相見ることの出来ぬ杜の姿にモルスは、腹の下から抑えきれぬ愉悦が湧き上がってくるのを感じた。鏡のような湖面へ指を滑らせれば、 「この寒さで水路の上を渡れるようになっている。却って好都合だな」と砂糖菓子のように塗された粉雪を軽く吹き払う。  水に満たされしスチリフの杜――その門から遺跡の出入口まで足元を濡らす水辺が分厚い氷に豹変している。氷盤には細やかな雪片がほとほとと降り積もって世界中の秘密に蓋をしているようだ。誰かがここを通ったところで足跡はすぐさま六花に覆い隠されよう。だが偶然モルスの青い瞳が雪景色に似つかわしくない色彩を捉えた。 「こっちを見たまえ。……血だ。あちらにもある。どうやら遺跡に向かって続いているようだ」  大量の血溜まりを踏んだらしい足跡が門扉へ連綿と続いていた。怪我人がいるようだ。血の上を歩いた靴底の跡からはっきり読み取れるのは二つ分。片方は男か。もう一方は後ろの部分が深く雪に埋まっている。踵の細いヒールのようなものを履いているのか。 「この足跡は……」  恐らくブーツを履いた方が怪我を負っているのだろう。何かを閃いたモルスが、影の如く付き従う男に目配せをすると、 「はい。我々、親衛隊が着用するブーツの靴裏によく似ていますね」  それまで黙って伺っていた白髪混じりの護衛が王子の推理を引き継いだ。瞬間、背びらに冷たいものが伝う。通常では難易度の高い任務をこなす親衛隊が単独で行動することは無い。だのに見て取れる足跡はたった二つ。  モルスと同じ結論に辿り着いたと見える護衛は表情を変えずに肯った。 「片方は女性でしょう。サイズが小さいですから。しかも洒落たデザインの靴を履いている。親衛隊ではないと断言できます。となれば彼女を連れている最中に他隊員が離脱せざるを得ない状況に陥った。そして残った隊員で任務を続けたが、なおも襲われたので体制を整える為に身を隠せそうな遺跡へ逃げ込んだ――否、女が深手を負った隊員を引き摺って移動した、という筋書きが濃厚でしょう」  女と、重傷の男が一人ずつ。そう見事な推理を披露する部下。次いで「壊れた親衛隊のバイクも見掛けました。シリアルナンバーは優秀な私の部下でした。あれほどの者がやられるとなれば大きな脅威です」と油断なく耳を澄ませた。 「モルス王子。知る限りこの女性を連れた任務は最重要ランクでした。失敗したとなればただちに陛下へ報告しなければなりません」  その任務は数ヶ月に発令されたものだと語る親衛隊隊長の言葉を受けてモルスは点と点が繋がった気がした。 「最重要任務か。ふた月前にゲンティアナが現れたことと関係があるのか? 考えてみればあやつが長期任務の命を請けたのもその頃だな。……ふむ、そのご婦人らがまだ中に居るのなら助けに行かなければなるまい」 「何を言ってる? ならんぞモルス。危険すぎる。敵が何かも分からん上、遺跡にはシガイもいるんだ」  アミティシア家の盟友から粒立った言及が落とされる。しかしモルスにも引けぬ理由があった。 「だが護衛が深手を負っているのだろう。明らかに危険な状況ではあるが、今ならまだ救助が間に合うかもしれないぞ。それに――私はこのために、此処へ来た気がするのだ」  ――嗚呼、「彼女」がまた喚んでいる。  未明、遺跡へ行くと断言した時と同じ気色を放つ王子。王の盾と護衛は唸るように反駁し掛けたが、つるりとした薄氷の上を爪先立ちで渡って建物内部へ向かう姿を見るや何を言っても無駄と判断したのだろう。続き地下空間へ立ち入るなり、王の盾は苦虫を噛み潰した顔で「鉄の匂いだ」と幸先悪い事実を探り当てた。主が聞き分けないことへの不満と、仲間を救うべく動く友への敬愛と。その二つが彼の心の中で鬩ぎ合っているように見えた。  やがて彼らは、視界の先に広がる目も彩な光景に、皆が皆、杜を訪れた目的を忘れかけた。 「おいモルス、光が見える。本当に遺跡の中なのか」 「ああ。此処は不思議と明るいのだ」  ここは地下深く作られた古廟であるはずだ。なのに天から落ちるきざはしが波打つ揺らぎを足下へと映し出す。気まぐれに始まるなだらかな波の花は差し響いては揺り戻し、寂しさに埋もれる死人の魂を癒やさんと目覚めることなき微睡みへ訪問者を誘った。  されども天上に詠われる抒情的な詩は今や誰にも唱えられることなく、また落とした錨の深々とした波音が何者の心にも浸透することなく、誰某かを弔った空間はまんべんなく刻が止まって、忘却の中に温む空白の歴史そのものと成り果てていた。  モルスは酷薄な輝きから気を逸らして捜し物へ意識を集中させた。警告通りに辺りはシガイだらけ。目を背けたくなる現状だと言うのに燦燦と降り注ぐ光彩はこの地をいっそう極楽たらしめていた。しかし夜の闇すらものともせぬ湖底の輝きは、一行がこれまで見てきたどの遺跡より美しく、そして恐ろしかった。  かくして手分けして探し出さんと三人が別れた時だ。衣擦れの音がたまさかモルスの耳朶を打った。勢いに任せて踵を返せば上等な羽織りに身を包む女と、血塗れに寝入る男が浅い呼吸を繰り返して横臥していたのだった。  女と男が一人ずつ。加えて男の服に剣と鎧のエンブレム。まごう事なきルシス王家の紋章である。 「サンギス……! おおい見つけたぞ! ここだ!」  モルスが声を張り上げると女がにわかに息を呑んで隊員を背中に庇うた。そうして彼女は親衛隊の証である短剣を諸手に、使い込まれた刃を新参者へ向ければ闇の中に震える吐息を連ねて王子を見据えていた。 「ご婦人。その武器を降ろしたまえ」  この身ごなしでは大した戦闘力などあるまい。それでも、彼女は親衛隊の人間を守ろうとしている。そうと分かった時、モルスは潤みある女の瞳に微かな希望を見出した。  ――そうだ、私を喚んだのは「彼女」だ。  現にスチリフ内部に入ってから先までの焦燥感が嘘のように消え失せていた。その女と言えば羽織りに帝国の紋章が縫い込まれている。子細は分からぬが由緒ある帝国貴族のそれだった。貴族出身、ないし保護されていたのかは定かでなけれど、かの国にてそれなりの扱いを受けていた形跡が見て取れた。 「私はルシス王国の王子モルスである。外で大量の血痕を見つけて助けに来た。……が、手を差し伸べる前に問うべきことがある。そなたは帝国の者か。私たちに敵対する者か?」  口疾に問い詰めれば彼女は困惑の色を濃くしてふるふると得物を下げた。 「貴方は、ルシス王国の王子様なのですか?」  最重要任務と称された女性は夜の闇より濃い濡れ羽色の人だった。それ以外は変哲もない女だと思ったが、淑女らしいまろやかな面差しには平和な世で生きてきた者特有の柔らかな光が宿って、見る者の心を不思議に解きほぐしていく。 「私が貴方の敵かどうかは分かりません。でも……恐らく違うのだと思います」  そこの彼が言うには、と女。史桜と名乗った彼女は思い惑うて親衛隊の男を横目に眺めた。聞き覚えのある王子の声音で覚醒したのか。それは常々モルスの護衛に宛てがわれていた件の手練れ隊員だったが、女に助け起こされながら息絶え絶えに掠れた声を荒げた。  「殿下……我々の近くへ来てはなりません。シガイに囲ま、れ……どこに居ても次々と来ます……!」  部下が凡てを言い終える前にモルスの肌が粟立った。彼らを中心にしておぞましい数のシガイがどこからともなく姿を現し始めたのだ。間髪入れず満身創痍の親衛隊が王子と史桜の前へ立ちはだかる。シガイは遺跡の外からも流れ込んできているようだった。遠くから剣戟が響けば友人や親衛隊隊長も会敵したのだと分かる。だが数が尋常ではない――遺跡内部がシガイの生態に相応しいものだとしても、だ。  このままではモルスは、部下も、友も、この女も悉く失うだろうと本能で理解した。しかし今の彼らに残された道は限られている。だから彼は胸いっぱいに空気を吸い込み、 「――全員無理に戦闘するな! 一刻も早く外に出て車へ乗り込め! 全速力で振り切るぞ!」  倒しても斃しても湧き水のように増える悪霊達。なるほど、幾ら手練れでもこの数を前にたかが数人で凌ぐのは不可能というものだ。モルスは英霊王の武器を身体の裡からひとつ残らず纏い決死の覚悟で血路を開くと、史桜と怪我人、二人を抱えて出口まで突っ切った。  おしなべてヴェスペル湖の美しい霜夜はきんと澄み切った空気を以て彼らを歓迎してくれた。だがどこまでも続く氷面鏡に何者かが刻んだひび割れを認めると、遥かな戦乱で傷を負った星がじっと澱んだまま膿み続けているような心地がする。  その先にも這い回る化け物の気配があったがモルスは二人の手を引っ張り命からがら車に飛び込んだ。一足先に運転席を確保していた友人のお陰で既にエンジンは稼働している。そうして全員無事なことを確認すると、誰ともなく合図を出して、湖中央部に位置するカピティスの標へ一旦舵を切った。  だがこの時、モルスに妙なる直感が舞い降りてふと思い直す。 「いや標ではダメだ。あの数を凌ぎ切れぬ。標の範囲外からも攻撃をされるだろう。そうだ……レスタルムへ向かえ! あそこならば今は強い光がある!」  かつて王子と全てを分かち合おうと誓った王の盾が本日何度目かの嘆息を零す。 「レスタルムまで随分距離があるぞ。だが確実な選択だな。……結局、夜のドライブをする羽目になったか」 「こんな状況では致し方あるまいよ。さあ今度こそ最大限飛ばしてくれ、我が友よ」 「ふん。五人で楽しい雪道ドライブと行こうじゃないか」  気がつけば空は晴れて冴え冴えとした月夜が彼らを照らしていた。それは遺跡に漂う薄明などではなく本物の温もりを放っていた。互いの肌が触れるか触れまいかの距離で、始終口を閉ざしていた史桜が白粉気もない横顔を月明かりに透かす。長旅に草臥れてはいたが、王子へ向けた深い感謝の傍ら、追い募る死霊の群れへ瑞々しい瞳を向けて夜空に残る灯影を凜と背負っていた。  折しも冬の音は途絶えた――この日、異なる世界から招かれた史桜は初めてイオスを見守る神々へ頭を垂れたのだった。

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参考 FFXV OST Volume 2/1 Disc4
'焦燥と孤独'

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