君懸Record 0 追悼回想編
-クレイラス-

第7話 A Truth Seeker

 -求めるは真実-

 刻一刻と長引く夜の実態は学者の口へ挙がるのみ――市民の大半が宵の残滓に意識を割くことなく、平穏に暮らしていた時代があった。それはまた王子の最も信頼する盾クレイラスが、未だ臣下よりも親友として、立場を超えた親交を人目を憚らず行っていた時代のことでもある。  これらは定めて嵐前の静けさであったろうが、神凪と交流ある者、ルシス王家に親しい者だけは鳴り響く夜想曲に耳を澄まして、未明の光を見透かしながら西つ方より迫り来る軍靴を睨め付けていた。 「……ダメだ。タイプライターのほうがマシだ」  クレイラスが整備士の家へ突撃して二週間ほど経った頃の話だ。警護隊に所属する彼は勢いよく事務机へ突っ伏した。眼前にはケーブルだらけの四角い箱。硝子板の中で角ばった電子文字が明滅するや、青年は再び画面を睥睨した。  男はここ数年で幅を広げ始めたパーソナルコンピューターが苦手だった。少しの挙動で不具合を起こす。覚書きを綴ろうにも画面にペンを走らせることは出来ない。なべて文明の利器を使いこなす彼であれ、これが実用性に優れた機械とは思いがたかった。  観念した男はキーボードを投げ出して万年筆を執った。そして深々と眉間に皺を刻んでいると、前触れ無しに扉が開くではないか。 「はは、やっぱり唸っているな。老眼が辛いのか?」と笑うレギス王子に続きひょいと貌を覗かせる史桜。 「こんにちはクレイラス。変わらないですね、この部屋も」  しかし書類を捏ね廻す男は友人らに目も呉れず。 「ノックくらいしろ。あとなレギス、お前とは五つしか違わないぞ。俺が爺ならお前もだ」 「いいや私が老眼になるにはまだ三十……ああ、十四、五年と言ったところか」 「ふん。十年なぞあっという間だな」  それが魔法障壁による老化を鑑みた計算だと気づけば数字の意味が痛みを伴ってクレイラスの胸を突き刺した。王座を継ぐこと、すなわち指輪を得て聖石に命を吸われること。殊に魔法障壁の維持ともなれば環境魔法とは比較にならぬ生命力を消費する。  王家の人間は民のために命削るこそ名誉だと聞かされて育てど、守り抜くと誓った年下の友人が己より先に老いていく現実を手放しに喜べるほど、この頃のクレイラスは成熟し切っていなかった。  錐に突き刺されるような思いを隠して「お前よりはまだ使える」と言い返してやれば、王子は「心外だ。私はパソコンも車も得意だ」などと無垢な瞳で宣った。  ――どの口が言うか?  王子が触れた機器を手あたり次第破壊していくのは有名な話である。巷では雷魔法を常時発しているのではと噂が立っているほどだ。しかし本人に自覚はないらしい。 「あのな。丘の結界装置もお前が壊したのだと言われれば納得できるぞ」  クレイラスがそう斬り返すなり、今年十六になった王子は軽妙に首を竦めた。 「信用がないな。あれに関しては私は装置を直に見たことさえないよ。手順が複雑過ぎて父上とシドしか蓋を開けられない」  歴史の重みに軋む石造りの部屋へ柔らかな午前の陽が射し込んでいた。宝石の屑をまぶしたような無数の粒子が四方四方に散ずると、さながら揺り籠、星と語らう母親があてどなき子らの痛みを和らげんと苦心する。だのに何条もの美しい煌縞がひとたび女の上へ差し掛かれば、病魔に勝る暗い影を曳いて、神々の信奉者を血錆びた断頭台へ誘うのだ。  と、不意にレギスが彼女の肩を軽く叩いた。その声には不思議と得意の響きがある。 「そんなにパソコンが嫌いなら史桜に代わってもらったらどうだ? 以前キーボードを易々と打っているのを見たことがある」 「ほう……史桜か。悪くない案だな」  青年がしたためる書類は丘で起きた事件の報告書だった。なるほど、当事者である女に直接綴ってもらえるなら有り難い。理に適った選択だと男達が彼女を一瞥した時分、普段は澄んだ快さを宿す史桜の視線が素早く外された。 「ごめんなさい。使い方、分かりません……」  突然水を向けられた彼女は間髪入れず白旗を挙げた。 「そのパソコン、年代物なので」 「年代物? 王都で開発されたばかりの最新型だぞ」 「ええ、そうですよね。どこからどう見ても最新型です。でもその、些か古過ぎると申しますか」などと胡乱な言葉を並べ立てる女にクレイラスは段々と頭痛がして来た。 「相変わらず何を言っているのか分からんな。国王陛下に通訳して頂きたいくらいだ」 「ははあ、なるほど。パソコンではなく史桜を解読するのか。ユーモアが利いているな、親友」 「……俺は本気で言っているのだが?」  細かく織り込まれた陽の光にあらわな友愛の輪が育まれていく。融かし込む表情そのものに自由への渇望と己が立場に付随する責任が拮抗して――あるいは王子、あるいは盾、あるいは生贄として――己がじし未来に向けた心願を抱きながら、いつしか相見える茨路を共に渡らんと互いに手を差し伸べていた。  それにつけても史桜がここに居るのは珍しいように思えた。その人が王宮へ姿を現すのは建国記念日や王女の付き添いをしている時くらいだったはずだ。そこで、誰かの付き添いかと尋ねる。するとモルス陛下に呼ばれたと言う。 「国王陛下へ、事件のあらましを直接ご報告しに参ったのです」  それは説明と言う名の茶会だったらしい。かくして王子も交えた交流は滞りなく終わり、待ち合わせの時間までどうすべきか思案に暮れていた折、クレイラスの様子を見に行こうと提案されて参ったのだ。と経緯をつらつらと説き明かした。  純粋な気持ちで会いに来た女に対し、王子に至っては親友の唸る姿を嬉々として眺めに来たのだろう。そんな気の置けない仲間と居る時に垣間見せる王子の幼らしい一面がクレイラスは好きだった。女も仲の良い弟達を眺める目色で頬を綻ばせた。  大胆なフリルブラウスを身に付けた彼女は細雪を纏い、色味を抑えた花浅葱色のスカートと申し分なく調和していた。鮮やかに黄色い花柄は最近の流行りだったか。そう過ぎれば、はたと、戴冠前にモルス陛下が選んだと言う膝丈黒ドレスのつづまやかな姿を思い出した。  砂時計の砂は一粒一粒落ちていく。けれども女の周りまで来るとそれらは夢見がちに揺曳して軽やかな歩調を刻んでいく。父の代から続く交流はクレイラスまで引き継がれているのに、史桜は額縁に飾られた当時のまま。モルス国王が歳を重ねるほど服装ばかりが変化していく女へ向けられるものは、畢竟、奇異の目だった。 「で。陛下は何と仰っていた?」 「特には。私もシドの見解を伝えに来ただけですので」 「そうか。しかし二千年間、一度も壊れなかったのに、何故今になって壊れたのやら。原因は分かったのか?」 「その件ですが……。やはり老朽化の可能性は有り得ない、と」  中身は摩耗した形跡さえなく新品同然だった。それもそのはず、結界装置を包む外構はコースタルマークタワーやスチリフ霊廟と同じ頑健な素材が主だっている。加えて絡繰り匣を開くには特殊な手順を踏まなければならず、閉じれば真空が保たれるのだから、何かの拍子に蓋が開く可能性や自然風化する可能性は既に幾らか排していた。  それが意味するものは自ずと限られてくる――言葉に詰まった史桜へ代わり、王子が報告を引き継いだ。 「シドが言うには、防音や幻影投射の機能は問題ないようだ。しかし余所者の侵入を防ぐ結界としては十二分に役目を果たせそうにない」  整備士によれば特定の回路のみが破損していた。論を俟たず結界を形成するには幻影を投射するより負荷が掛かる。よって独りでに限界突破を起こした可能性もあながち除外出来ない。が、狙いが定まり過ぎてはいまいか。落ち重なった微かな違和感がクレイラスの脳内で警告を発していた。 「これ以上は修理ができないのか」  盾は暗夜の灯を求めた。すると奇しくも最後の希望が紡がれる。 「土台はソルハイムの技術だからな。帝国の人間ならもしか修繕できる可能性はある。だが残念ながら敵国だ。……よって我が国に方法があるとすれば、一つだけ。かの結界装置を発掘した二千年前、当時を生きていらっしゃった初代ルシス王なら何かご存じかもしれない。父上が解決策を伺ってみるそうだ」  敏腕整備士シドが導き出した見解は決して芳しくないものだった。市井から忘我の森を隠すことはこれまで通り容易いだろう。だが、裡に隠した硝子壜を大切に守り続けるには心許ない。状況次第ではクルクスの丘を放棄することも視野に入れんと、二人の男は不吉な予兆にまなこを尖らせていった。 *  王子の去った一室は静まって、史桜とクレイラスだけが残されていた。定まらぬ考えを反照するよう彼女の意識は覚束なく王都を彷徨う。しかし昼刻を知らせる鐘が響くや、面を上げて「そろそろ来るのかな」と紅茶を飲み干した。 「帰りは誰が送ることになっている?」  書類作業を終えたクレイラスは女を呼び留めた。はしなくも、彼女の口から飛び出たのは意外な名前だった。 「コルと戻るように言付かっていますよ。訓練後、逃がさず連れ帰ってこいと」  如何せん彼女の護衛が目的ではないらしい。否、いずれも兼ねたつもりかもしれないが、未だ帯刀許可のない候補生達には本格的な戦闘訓練を施していないのが現状だった。 「今は気掛かりなことが多い。帰りは俺も一緒に丘へ行こう」 「コルなら大丈夫だろうと、シドは仰っていましたが」 「ああ。だが万が一のことがあった際、正規の隊員でない人間へ要らん責任を負わせたくないのでな」 「あはは。普段からそういう理由をきちんと説明してあげればもっと仲良くなれるのではありませんか」 「お前はいつも一言多いぞ」  些末な繰り言が聞こえた気がすれど青年はすげなく一蹴した。 「ところで屋敷の住み心地はどうなのだ、史桜」 「静かで良いところですよ。クルクスの地を薦めてくださった陛下には感謝しています」 「表で暮らしたいとは、思わんのか?」  ――それでは、ご迷惑になってしまうでしょう?  苦しい微笑が凝る史桜の目尻には熱蝋へ身を焦がす淋しさが宿っていた。  クルクス・チェラム――このクルクスとは婚姻や王位継承権破棄など様々な事情でルシス王家系譜から外れた王族だけが、チェラム姓と合わせて使うことの出来るミドルネームだった。かの屋敷も偉大なる慈王の孫娘がアコルドへ輿入れした際に「いつでも帰って来て構わない」と贈った家らしい。だが辺りを保護する結界装置自体は建国以前に発見した代物だと聞いた。  そんな逸話はあれど神影島に比べれば監視の目は緩く、禁足地という大層な呼び名に不釣り合いな警戒体制だった。何しろ行き交う人々は陳腐な丘に目もくれない。城壁に沿って自然のまま放置されていることから観光地としての価値さえ低く、とりたてて興味を持つ人間は居なかった――はずだった。  程なくして幹部候補生登庁の報せが入った。教官役は本日の隊員名簿を認めて、俄かに警護隊の黒コートへ袖を通した。 「少し出て来る。変な大人には付いていくなよ。ここで静かに待ってるんだぞ」 「ええ? そんな子供じゃありませんよ」 「どうだかな。書類を破ったり、悪戯するのではないぞ」 「クレイラスは私を猫か何かだと思ってますね」  とりも直さず反論する女へ笑って事務室を後にした。外貌だけならば二人はほぼ変わらない。蓋し瑞々しい史桜はいっそ彼より幼く見えるほどだった。それでも縁取られた輝きは女へ覆い被さる影の裏返しなのだ。  ――史桜がこの国に来るべきだったのか、俺には未だ分からんな。  国王陛下の尽力により断罪を免れたが、対価として自由を奪われた女。ふと、彼女が望郷の念を以て懐かしむかの故郷はルシスと似て非なる国なのだろうかとすずろに思いを馳せた。帰してやれるなら帰してやりたい――だが彼女の住んでいた街がどこなのか私には分からない――以前、そう漏らしていた国王陛下のお言葉がありありとクレイラスの脳裏へ蘇った。  やがて「五百一、五百二、五百三……」と張りのある掛け声が耳朶に触れた。男は薄く開いた扉から室内を盗み見た。温気の籠る訓練場には一臂の力を込めて腕立て伏せに精を出す件の少年が居た。コル・リオニスの柔らかな襟足に玉の汗が滴って、肩から二の腕へ掛けて活溌な肉の重みがしどろに隆起したり弛緩したりしていた。  事前訓練を開始してひと月も経たぬうち、少年の裡へ野生の鋭さが既に全身へ束ねられていたことは師を驚かせるに足りた。気高き番人との戦いがそうさせたのか。乾いた土がたちまち水を吸うごとく、無限に蘇る少年を眺めていると、困難へ打ち克つほどに一羽根、一羽根、美しい不死鳥の身体へ入れ替わっていく心地がした。 「精が出るな、コル」 「アミティシア――教官」  取っ手つけたように肩書を付す子供に苦笑した。クレイラスは気怠げに姿勢を崩し、少年を見下ろす形で佇む。コルには石床へ坐するよう促して、 「何故、一人だけ別室に呼ばれたか分かっているな? 王家に忠誠を誓うべきお前が禁足地へ立ち入ったこと、自分の口から理由を聞かせてくれ」  番人に狙われれば通常は初撃で絶命する。これまで侵入した帝国の密偵も惨憺たる有様で死体安置室へ届けられていた。だのにコル・リオニスは――そこに数多の助力があったことは事実だが――丸腰のまま窮地を脱した。彼が類まれなる身体能力と運の良さを兼ね備えていることは明らかだった。 「何度も話している。夜になると化け物が出るという噂を聞いてクルクスの丘へ行った」  コルが語る内容は面々から伺った内容と相違ない。隈なき眼に嘘の遠吠えはあらず心根の健やかさが見て取れた。しかし少年は未来の師へ赤心を吐露した訳ではなかった。史桜にならもしや、と過ぎるが、クレイラスの中には、師弟の信頼関係を築く良い切っ掛けになりそうだと考える自分も居た。 「化け物について具体的な姿を見たものは?」 「何人か見た奴が居る。……という話だった。しかし噂の出どころを調べたが目撃証言はどれも一致していない。友達から聞いたと話す奴ばかりで見た人間の特定は出来なかった」 「だったら、どうしてお前は信じた?」  コルはさしたる感興も無さそうに空色の瞳を窓へ滑らせた。 「俺は都市伝説の類を信じない。でも、都内の中学校にだけそういう噂が流れてるようだったから、変だと思った」 「中学校にだけ? そうか……だから我々はその噂を知らなかったのか」  夜間に遭遇する化け物といえばシガイである。しかし王都はもちろん、王家の丘も都庁から伸びる魔法障壁に守られている。長き平和を保つこの地にそれらが蔓延るはずがなく。好奇心に満ちた同級生達はついに「本物」が出たと恐怖を募らせていたそうだ。  返す返す中学校だけに広がる噂とは奇妙なことだ。猶のこと通報すれば良かったものを。そうは思うも、少年の裡へ名状しがたい克己心、さながら権威への反抗を見出しては口を噤ぐしかない。 「化け物、か。一体何の輩を指すのだかな」  すると、言うに及ばぬ問いだとコルは片頬を歪め、 「クァールだろう」と吐き捨てた。 「なるほど。お前は番人が化け物の正体だと考えるのか」  されどクレイラスがそうと肯んじるには憂慮の種が多かった。二千年に渡りあの森へ潜んできた白き番人達が今更人間に見つかる下手を打つか。青年の記憶が確かならばクァールはあの森から自らの意思で脱したことがない。何故か分からないがあの個体らはルシスの血に忠誠を誓っているのだ。  ――この違和感は何だ。偶然が重なり過ぎてはおるまいか?  外部の人間を立ち入れてしまうほどの故障が生じる。野獣が森某から外へ出て化け物呼ばわりされる。普段は丘へ近づくことさえしない一般市民が野獣の存在に気付く。これら凡ての禍事がたまさか同時に起きたというのだろうか。何者かの意思により万事つつがなく事が進んでいる気がして一切の煩慮が杞憂であって欲しいと願った。 「話の筋は通っているがな。だがお前はまだ全てを語っていない。……なにより俺は、噂に振り回されるだけの能天気な子供を警護隊候補生として勧誘した記憶はないぞ」 「何が言いたい」 「分からん振りをしても俺は騙せんということだ。コル、お前の強みは身体能力だけではない。状況を見極める賢さ、そして真っ直ぐに物事を捉える精神だ。だからこそ、噂の真相を確かめるためだけに行動したとは思い難い。もっと深いところに別の理由があるのだろう?」  周囲から羨望の眼差しを受け、己に不可能はないと全能感に満たされる少年を止めることなど、誰にも出来なかったに違いない。だとしても、だ。禁足地という単語が持つ威力が分からぬほど浅はかではないはずだ。 「お前は頑固だ。一度決めれば絶対に口を割らないだろう。だから俺から当ててやる――お前にとって化け物の噂は、王都警護隊が危険な対象を討ち漏らしていることと同じだと感じた。違うか?」  ましてや王家所有の土地。将来王宮勤めとなる少年にしてみればそんな噂が立つこと自体が警護隊へ泥を塗る行為に等しかった。かくて入隊するまで軽はずみな行動はしてくれるなと両親から再三受けていた忠告も差し置き、コル・リオニスは自ら汚名返上せんと禁足地へ忍び込んだのだ。 「そうだ、お前の認識通りだった。これは警護隊と警備隊、双方の落ち度だ。実に恥ずべきことだ」  謂わばコルは被害者だった――本人は絶対に認めないだろうが。凡てが万全であったなら、森へ立ち入ることも、番人と対峙して深手を負うこともなかった。なかんずく天賦の才を持つコル・リオニスだからこそ脚の怪我だけで事態は収拾したのであり、まかり間違って何らの素質もない児童が迷い込んでいたなら死者を出す大惨事へ発展していたろう。 「お陰で俺達は装置に欠陥があったことを知ることが出来た。もし気づくのが遅ければ大事な時に露見して敵の介入を許した危険性も否めんからな。よって此度の件はお前の功績だと、俺個人は思っている。よくやった」  不法侵入を是とするクレイラスへ少年が異論申したげに唇を開いた。だが男は人差し指を立てて遮った。 「――正式な警護隊員だったなら、だ」  さのみ権限のない身で何かを成そうとしたこと。家族や周りにどんな影響を与えるか考えなかったこと。それが彼の欠点だと説き伏せる。 「いいか。お前には来期から、いわゆる幹部候補生として、これまで通りの勉学に加えて算術、科学、体術、語学、文化的教養、あらゆる専門知識と戦闘技能を身に着けてもらう」  公に彼らは幹部候補生とは呼ばれていない。だが若い頃に警護隊学校の道を選んだ生え抜きは、一般過程を通り入隊する者より利点が多いのも事実。華やかに飾られた道は出世街道の入口に立つのと同義であり、こと異例入隊ともなれば周囲の期待は大きく、ひいては将軍位という頂きにも通じていこう。 「コル・リオニス、お前は強くなる。素地もあるし、なにより俺が強く鍛え上げる。だが王族の御側にお仕えするにはそれに相応しい力の使い方を学ばなければならない」  警護隊は宮廷内の秩序を護るために存在する。己の立場に付随する力の使い方を学び、平穏を乱す側に立ってはいけない。クレイラスは、彼がいつしか盾と名乗ることの意味を理解してくれるだろうと願いを込めて――この時ばかりは史桜の忠言に倣って――ありのままに弟子となる少年へ心情を曝け出した。 「不思議なことだが、ルシス王家が信を置かぬ者が忘我の森を離れるとあの地で起きたことの記憶をたちまち失うと言われている。だがお前は次の日になっても凡てを憶えていた。ならばきっと、この事件に関わった者がお前で良かったと思える日が来るはずだ」  瞭かにされる少年の動機、傷付くことを厭わぬ男の真心。硬軟織り交ぜた器の大きさに幹部候補生はいよいよ観念したようだった。 「俺は……」  コルは初めて正直に明き心を露わにせんとした。しかし自尊心のみで他者の前に立つ若き少年にとって見知らぬ男へ胸襟を開くことは自ら誇りを傷付けるに等しい。仔獅子は薄い唇をぎりと噛み締めた。 「これから自分が命を懸けて奉仕する国が、何を隠し、何を行おうとしているか知りたかった。それを明らかにするまでは、陛下のために命を賭すことなんて出来ないと思っていた」  それが物憂い森の存在を知ってしまった現状を述べているのだと、クレイラスが飲み込むまで些か時間を要した。 「けど、信じることにした」  誰を――とは言わない。まるで、みだりに王宮でその名を紡ぐことは許されないと理解しているかのようだった。 「俺は強くなりたい。何もかも打ち砕けるくらい。それが自分の出来る恩返しだ。だから頼む、死ぬほど鍛えてくれ」  最後まで言い終えるより早く獅子の炎が力強く飛翔した。そこにはかの恩人へ対する感謝、ないし、或る決意の境地も秘められていた。だが完璧な信念へ僅かな瑕瑾をもたらす若き情熱は、久しく見た夢に吹き流れて、そうと自覚する頃には既に女の影しか遺っておらぬだろう。  黎明の紅に染まった王都へ病魔の夥しい耽溺が迫っていた。城壁を昇りゆく夜霧が何時の間にか身に沁みついていた澱みを伴って立ち迷い――神々の打ち込んだ楔は降りなずむ慈雨に朽ちて、穢れて穢れ得ぬ大河を忘れ時〈わすれじ〉の水で充たしていった。

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参考 FFXV OST Volume 1 Disc3
'Impending Peril'

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