君懸Record 1 王宮寓話編
-ゲンティアナ-
第10話 The Merciful Mother
-慈悲深き母-
ゲンティアナは人間が好きだった。星を守る者に似つかわしく、生きとし生ける命を愛していた。それが恋人との離別を招いたとしても、儚く、しかしひとたび危機に瀕せば凜々しく立ち上がる魂へ氷神の爪先が触れれば、凍て付いた心に遺愛の炎が灯った。 帝都からさほど遠くないウルワート地方、テネブラエにあるフェネスタラ宮殿は瑠璃色の花々に囲まれて嫋やかな光を称えていた。片や人間に備わる醜さの暗喩が魔大戦だとすれば、人の持つ比類なき美しさを象徴せしはこの地に住む一族だったと彼女は信じていた。 だからこそ彼らは架け橋たる神凪の任を拝命したのだろうが、同じく伝聞者としてイオスを経巡り、王国黎明期から人へ寄り添ってきたゲンティアナは、氷神と使徒、双方の顔を使い分けてきた。その姿勢は間違いなく「見守る」という言葉に相応しい優しさに満ちたものだった。 けれども静まりかえった魂には、常ならず、陰鬱な侘びしさが漂っていた。傍目には分からない。しかし大切なものを時の薄片へ置いて来た。そんな心地がとめどなく女神の裡にあった。おしなべて、深い惛い意識は他の神々の心にも同様に宿り、戦いに磨り減っては倦み孕んだ大地を様変わりさせた。 ゲンティアナは神凪一族と後継者シルヴァが変わらず平穏な生活を送っていることに安堵して、久方ぶりにルシス領を見回ることにした。帝国領と海を隔てた大陸西方、古代帝国発祥の地は、黄昏の名を冠したヴェスペル湖から豊かな河川を流し込み、風情ある自然に囲まれていた。 その中で一等、彼女の目を釘付けにしたのはテルパの爪痕だった。深く抉れた土地には炎神が慈しんだ世界の面影はない。彼を愛した女神の思い出も、氾濫したクレイン地方の大河川に押し流されて何一つ当時の形を留めていなかった。 そうだ――あの戦乱がなければ氷神シヴァは掛け替えのない恋人を喪うこともなかった――剣神の怒りを買い、守り慈しむべきイオスが傷付けられることもなかった――その想いは何時とも知れず波及し、奥深く侵入しては魂を蝕む病魔のように、星全体へ暗い影を落としていた。 「……かの病は我々の心を体現したかのようだな」 神代の昔、剣神の非情さを味わった女神は二度とあのような悲劇を起こさせまいと誓っていた。星に属さぬバハムートは、時として酷く驕慢に振る舞う。その心は人の醜さと写し鏡のようで、人間という種が稀に見せる冷酷さこそ、かの神が意図せず育んでしまった権高な摩天楼ではないかと過ぎる瞬間があった。 さてもゲンティアナには長きに渡りどうしても解せぬことがあった。来し方、神々が角目立った大戦の際に、剣神は星ごと炎神や人間を滅せんとした。ひとたび牙を向いた彼の力は熾烈を極めて、巨神、雷神、氷神、水神といった名だたる四神が力を合わせて星の崩壊を防いだのは記憶に新しい。 だが本来バハムートの力はイオスに住まわる五神と拮抗する、もしくは上回るものだ。ならば何故、我々四神だけで――既に永眠せし炎神の欠けた不完全状態で――上位神の暴走を止められたのか。男神が加減をしたとは思い難く、されども今更問い質して悪夢のような決意を彼の中に再び想起させる危険を侵せずに、思案に暮れていた。 その折りだった。ゲンティアナは深緑のダスカ地方へ蠢くものを感じた。かの地には遺構の森や雷神が眠る鍾乳洞がある。だが渦中の気配は地下深く、四方を壁に囲まれた大地の下で艶めかしく磯の香りを漂わせていた。 「不穏だな。国王に警告しなくては」 まもなくして彼女は花崗岩で造られた堅牢なルシス王城に身を置いていた。西へ傾くは暮れ泥む斜陽、神秘的な金粉を吹き抜けから滔々と注ぐような夕映えが、玉座の間へ通ずる渡り廊下に濃い陰を落としていた。その果て、回廊の最奥に坐する国王へ謁見せんと裾長き衣を閃かせた折りだった。 親衛隊控え室の真隣、簡素な扉から男が一人、転がるように飛び出して来るではないか。 「ごめん、史桜! 次の任務終わったらな!」 椅子と机が各々三つだけ。窓際には事務室らしく書類棚が陳列しているが、これと言った特徴はなく、王宮に設えた一室としては装飾に乏しい小部屋だった。そこから白い貌を控えめに覗かせるは史桜である。彼女は分厚い紙束を片手に、 「消耗品申請書も提出されておりません。こちらはお持ちですか」と去り行く背中へ声を張り上げた。 「おっと控室に忘れて来たか? まあ今度で良いだろ。なんなら全部書いてくれて良いぞ!」 「私は報告書の閲覧権限がありません。代筆権利があるのも事務長だけでして……あ! そ、それでしたら別紙にサインだけでも――」 「俺も今は無理だ! じゃあな、頼んだぞ!」 「そんなあ」 嵐のように駆けゆく隊員を見送ると、女は力なくその場に崩れ落ちて床へ掻き臥した。 「サンギス事務長がいないと何も回らない……」 出払っていた隊員らが無事に帰還したのが先日のこと。それ自体は喜ばしい事だったが、即ち大量の事後報告書が飛び交うことに等しい。だのに、次なる任務を請け負う彼らは隊長格への口頭報告に留め、新たな任地へ飛んでいってしまった――というのが此度の顛末らしい。 「もう。休暇は三日だけって仰っていたのに。事務長ったら何処で何をされているのですか」 廊下で繰り言を零す娘は些か哀れに思えた。しかし王宮内の仕事となれば内政干渉を控えるゲンティアナに助力出来ることはない。使徒は少しの間考えあぐねた結果、音もなく柱の影へ身を隠した。 それとほぼ同時に何者かの噴出する音が響いた。低めた笑い声は女の嘆きを軽やかに吹き飛ばしていく。不思議に思った史桜が上半身を緩慢に起こせば、闊達な少年が壁を向いて俯いていた。たまさか逃走劇へ出くわしたのだろうか。警護隊の制服が溌剌とした身体に収まりよく、鍛え抜かれた肉体を象っている。 肩を震わせて口元を覆う少年を認めると、史桜は片眉を一寸持ち上げた。 「コル? 笑ってますね?」 釣られて頬を緩める娘がかつて咎人として神に断罪を迫られたなど誰も思うまい。 「悪い。見るつもりは」 「いいえ、存分に笑ってくださいな」 史桜は居住まいを正すと薄化粧の清楚なつくりに困ったような笑いを浮かべた。少年に出会うなりたちまち聞き分け良い顔になるのは、彼の前だけでも頼り甲斐のある大人で居たいと願うゆえか。 「くっ、ははは」 「……楽しそうでなによりです」 「すまん。だがお前、かなり間抜けな顔していたぞ」 コル少年の立ち振る舞いは戦闘に慣れ親しんだ者のそれであった。僅か一年、されど一年、クレイラスが次々課す特訓に耐え凌いだ彼は戦闘技術だけなら大人をも凌ぐと音に聞く。 苛烈な性格ゆえ才能に見合わず不遇な身の上であるはずだが、苦悩の色は一切見えなかった。突進するしか知らぬ若い獣から、卓越した兵士の階段を登り始めたコルは、未成熟の美しさ、未来への特異点となり得る気概を以て、誰の目にも明らかな天賦をいずれ世へ知らしめるだろうと予想出来た。 そんな彼はもぬけの殻である室内を一瞥、娘へ視線を戻して、 「今日は一人なのか」と意外そうに眺めた。 「はい。サンギス事務長が休暇中なんです」 「親衛隊の事務はあいつと二人だけ? そんな少人数で回るのか」 「実は、これでも増えたほうなのですよ。ここは昔から事務長がお一人で凡て捌いていましたから」 それに比べれば自分など単なる留守番係のようなものだ、居ても居なくても親衛隊にとっては何ら変わらない、と娘は笑った。なるほど、とコルは頷くも、怪訝そうに小首を傾げた。 「だが変だな。本当に休暇か」 「どういう意味ですか?」 繕わず真っすぐな物言いをするコルが妙に含みある言い回しする。そのことに落ち着かなさを覚えた史桜は当惑気味に疑問を口にするも、重ねて問い返すのは少年だった。 「休暇はいつからだ」 「ええと、そうですね。王子と出掛けたのが今月中旬なので、休暇申請は九日ほど前だと思います」 「先週の水曜……。だったら、日暮れ前に親衛隊の連中と一緒に居たところを見たぞ」 相変わらずの馴れ馴れしさで挨拶されたから覚えている、とコル。されど事務長は腕利きの元親衛隊員だ。現役と遜色ない実力を持っているためか、後輩らの訓練へ付き合うことも日常茶飯事である。そんな考えが娘の面貌へありありと浮いていたからだろう。コルは被りを振って彼女の思考を否定した。 「警護隊や親衛隊が遠征に使う車へ乗り込んだ。任務でなければ、どうして戦闘隊服を着用する」 少年の話が胃に染み込むと娘の心は沈黙の水際へ落ちていった。寝耳に水だったらしい。一体何の任務を、と呟いたぎり物言わぬ花となった。瞳に過ぎるは疑懼の光ではない。被庇護者の身では伺い知ることが出来ぬ何かが起きていると言う胸騒ぎ、危険な任務へ赴く隊員を慮る憂慮の念だった。 少年は這い蹲ったままの女の前へ屈み込んで散逸する書類を拾い上げた。 「何にせよ早く戻らないと残業になるぞ。やること、あるんだろう」 「ああー……そうでした」 史桜は花が萎むようにたゆげにを肩を落とした。目と鼻の先には欺瞞を許さぬ精悍な面立ちがあった。差し出された掌には少年なりの気遣いが滲み出て、何かの拍子に心の機微に触れていく。 おもむろに娘は腕を伸ばしてまあるい頭を撫ぜた。その指が滑りの良い髪の毛と緩やかに戯れれば、突然の行為に少年は声を失った。だが動じぬ精神も美点の一つだと言わんばかり、深い溜息を漏らしただけだった。 「何してる」 「はい。貴方の頭を撫でています」 「子供扱いは止めろ」 不貞腐れる少年へ注がれるは御手柔らかな愛情だった。 「あはは、違いますよ。元気を頂いているのです。……いつもありがとう」 忘れてしまった希望を追懐するよう。置き去りにした記憶を編み込むよう。紡がれた言葉には少年を大切に想う心が秘められていた。蓋しその根底にあるのは慈しみに根差した母性かもしれない。 「大好きですよ、コル。だからまた元気な姿を見せてくださいね」 そう告げるなり史桜は事務室へ向かって歩き始めた。反論する間はない。去り際に彼女が見せた、夕焼け雲を薄紫に染めて臼づいた微笑みは、断頭台へ運ばれる罪人ではなく、あまねく信者へ祝福を与える洗礼者のようだった。 扉の閉まる重い音が静寂に吸い込まれるや、歩廊にはただ光の容が影を通して垣間見えるだけになった。コル・リオニスは暫くその場に佇んだままだったが、やがて玉座の間と反対方向へ歩き始めるとすれ違いざまに使徒を真っ直ぐ射抜いた。磨き抜かれた瞳は煩瑣な想いを含んで、斜交う最後の残照へ雄々しい輪郭を融かし込んでいった。 * 謁見室には男女四人の王宮関係者が揃っていた。ゲンティアナが広間へ入り合わせた時、可憐な女人がドレスの裾をつまみ上げてモルス国王に恭しく頭を下げたところだった。生まれながらの貴族階級だろうか。一挙一動に花のような気品が振りまかれればのびやかな曙光が散じていく。無垢な水鳥を彷彿する相貌には聖母のような寛大さが泛んでいた。 彼女はアウライア何某――確かレギス王子の幼馴染だったと思い出して、国王と令嬢のやりとりへ耳を澄ませた。 「娘がどうしても史桜を連れて行きたいと言って聞かなくてな。しかしキカトリーク市街地は魔法障壁の限界点に近すぎる。代わりと言ってはなんだが、そなたに一日だけ付き添いを頼めぬか」 「謹んで拝命致しましょう」 「いつもすまないな」 「恐れ多いお言葉です。頼って頂けて嬉しゅうございます」 貴婦人の微笑みは、王女のごとき清涼なる星々でも、神凪のごとき爛然たる月夜でもなく、病魔を欺く神殺しへ赦しを施さんとする晴れやかな暁暗だった。 アウライア女史が麗しい足取りで退出すると、広間にはモルス国王陛下、アミティシア宰相、ウィスカム・アルマの三人が取り残された。未だ使徒の気配に気付かぬ一同はひそひそ話に花を咲かせ始めた。 「宰相、調査は順調か」 戴冠して二十余年、魔力の負荷でめっきり老け込んだモルス国王は深い皺を眉間に刻んだ。遺跡探訪に親しんだ頃の若々しい張りは失われている。だのに目ばかり白刃のように閃めかせて、迫る老いの中へ肉をも断つ果敢さを用心深く隠していた。 「万事滞りなく。ですが昨日の今日で情報が纏まるはずがありません。ほとんどの人員を割いているのですから、後始末にも時間は掛かりましょうぞ」 「ならば口頭だけで構わぬ。我が友、見解を申してくれ」 砕けた調子で語り掛ける国王陛下。その様子を見て、宰相はあくまで友として言葉を差し交わすことにしたようだ。 「ふむ……。今言えることは、帝国が明らかな技術革新を迎えたという事だな。去年就任した宰相とやらの入れ知恵だ。科学畑の出身かは定かでないが、奴が入国してから飛躍的に魔導兵研究が進展している。実戦投入には至ってないものの、ひとたびフローが完成すればあっという間に兵士の量産は成るだろう。生産所へ直接向かわせた最後の部隊が戻れば更なる仔細分かろうが……まあ、既に完成の域に達していると判断して間違いないな」 物事の起こり具合を古き友の視座を通して清聴するモルス国王は、苦々しい面持ちで背凭れに身を委ねた。慄えるほどの重圧が彼を玉座に縛り付け、立ち上がることを阻んでいるかのようだった。 「状況は芳しくないな。ウィスカム、そなたなら、実戦投入が成るまで猶予はどれだけあると見積もるかね」 「研究が完成している前提でしたら残り一年もないかと」 「宰相、異論は」 「ない。将軍達や俺も概ね同じ結論へ達している」 元々ウィスカム・アルマは王族関係者ではなかった。けれども立ち振る舞い、眼差し、思考の凡てに、キカトリーク富裕市民層が往往にして備える優美さがあった。その際立った慧眼と深い学識を以て人々の手本となる彼は、レギス王子の相談役と言う重要な役割を担っていた。 「戦いは近い、か。レギスにも心の準備をさせねばなるまいな。ウィスカム、この役目はそなたに委ねて構わないかね」 「畏まりました。謁見が終わり次第、殿下へ連絡を致します」 「礼を言う。腹を括るのは早ければ早いほど良い」 ルシス王家の使命はクリスタルを守ることだ。いかな心優しき男であろうと、指輪を受け継ぎ聖石の守護者となれば、救世をもたらす一輌の花車を未来へ受け継ぐために冷たい石の仮面を被り続けねばならない。その点においてモルス国王ほど冷徹に状況判断を下せる男は居ないとゲンティアナは思っていた。 彼は瞑想にでも耽るかのように瞼を降ろして長い長い沈黙を貫いた。乱れる焔の襤褸を制して、在りし日、男を導いた喚び声を聞き漏らすまいとしているかのようだった。それら凡てを呑み尽くし、ひとしきり精神統一した後、モルス国王は息子の相談役へ意識を向けた。 「そう言えば、そなた、何か話があると申していたな。気が逸って忘れていた」 王の一言で本来の用事を思い出したらしいウィスカムがはたと瞠目して手元の資料に触れた。 「はい、実は別件で謁見を願い出ました。クレイラスの進言により件の装置を解析していたところ、幾つかの事実が判明しましてね。そこから或る推論が浮かび上がりました。ところが我々だけでは結論を下しかねる結果であり、まず王家の丘と縁深い国王陛下のお耳に入れるべきだと判断した次第です」 史桜と王女が王宮へ移り住んで以来、王家の丘は無人となっていた。破損個所は分かったものの、結界機能の修繕案が見つからず原因究明が急がれていたのだが、一年と半年掛けて漸く進展があったらしい。 「ああ、クレイラスが納得いかないと主張した件の装置だな。先の話以上に深刻な結果でなければ良いのだが――おや」 国王陛下は視界の端にゲンティアナを認めて口を閉ざした。秘密が漏れることを恐れたのではない。突然の来訪に驚いて言葉が出なかったのだ。相談役や宰相もまた前触れなしに現れた使徒へ意表を突かれた。だがモルス本人はこの光景に慣れたものらしく、 「ウィスカム、資料は見ておこう。何かあればすぐに連絡を入れるとレギスやあの二人にも伝えておいてくれ。そなたの献身に心から感謝するよ。……宰相、そなたも下がって良い」と人払いをした。 「使徒殿。よくぞいらしてくれた。本日はどういったご用件かね」 言葉の裏には戴冠した日から今日まで途切れることのない大きな隔絶があった。その理由をゲンティアナは受け止め、或る種、不敬とも呼べるモルスの昏迷を黙認していた。それは神殺しの娘を庇ったあの日から男の心で常に渦巻く畏れ。史桜の命を奪えと剣神の勅命が再び舞い降りる日が来やしまいかと、西を、天を、身動ぎひとつせず睨め付ける男の姿だった。 けれども使徒はかの裡へ潜む疑念にさしたる注意も払わず、端的に本旨を伝えた。 「国王陛下。近々、何かが起きるでしょう」 緊迫に籠めた諫言が羽ばたいた。モルスは強い凝視に岩壁を貫くような光を込めた。 「何かとは? 先の話に関係あることだろうか」 「分かりません。ですが戦争より差し迫った危機でしょう。先ほどダスカ地方に暗い陰を感じ取りました。ゆめゆめ用心なさい」 伝えるべきことを伝えたゲンティアナは半歩退がった。最早一刻も無駄に出来ないと感じていた。夜が濃くなるにつれ埋没した胎動が勢いを増しているのだ。だから次なる行動のために早々と切り上げんとした刹那、恐ろしい絶叫が雷のように耳朶を打った。 「何だ?」 悚然たる面持ちでモルスが玉座から立ち上がった。折に触れて臣下達が謁見室へ雪崩れ込む。彼らは国王陛下の安否を確認するや規則正しく整列、親衛隊へ持ち場を譲った。別動任務に取り掛かっていた精鋭たちも集結しているようで、彼らは息も乱さず陰のように寄り添った。 「国王陛下、お怪我はありませんか」 「問題ない。一体何があったのだ」 「王都各所にシガイが多数出現しました。未だ城内に侵入しておりませんが身の安全をお守りします。レギス王子の元にはアルマ殿と複数の親衛隊が向かっているようです」 クリスタルは無事であること。魔法障壁の欠陥ではないこと。病魔の侵略は王都全土に及んでいること。こうして状況を伝える間にも大小さまざまな悲鳴が街中に轟いているのだろうと容易に想像できた。 「……嗚呼、始まってしまった……危惧していたことが」 縮れては綾を成す凶報にゲンティアナは被りを振った。魔法障壁を超えて僕を送り込む――それほど力ある存在が蠢き始めたのだ。なかんずく帝国の輩ではない。彼らは未だ障壁の外に燻っている。ならば、そう、暗潮に澱んで滅びへ刃向かう者。底意に在るのは生々しい悪意とクリスタルを欲する飽くなき支配欲だった。 古きに海へ逃げた死人が暗雲垂れ込めるルシス城を病魔の気息でくるんでしまった。しかしそこに一滴、混じ入る雫があった。それは優しく琴と戯れる澄んだ水泡だった。泡沫を通して囁く声には聖石のような透き通った耀きがあって、過去に縛られてばかりではならぬ、今の世に護るべき者が在る、と無言の裡に喚び掛けていた。 「このままでは多くの民が傷つくでしょう」 ――あれはオルトロス、星の粋を狙う者。 「我々六神の存在意義はこの星を守り通すこと」 ――あなたにはまだ出来ることがあるわ。 「ええ、イオスを蝕む悪意には、神の戒めを」 ――約束……憶えて、いるでしょう? 「永きに眠る同胞よ、今こそ目覚める時です」 過去を隔てて滴る雨垂れは哀調を帯びる夢だった。声の主を知る由もないのに、可視界と不可視の狭間の中で何者かの掻き鳴らす竪琴の弾き語りが、いずくんぞ声高に、告げるべき警鐘に乗せて響き渡っていく。天啓に似て非なる煌めきへ背中を押された氷神は微睡む神々の元へと急いだ。
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'Cosmogony'