君懸Record 1 王宮寓話編
-モルス-

第14話 A Flower for You

 -君へ捧ぐ花-

 オルトロスによる災禍を乗り越えた王都は、常夏の海辺に戯れては胸濡らす痛みを浸し、散りぬる紅葉を眺めては黄金色に染まる川辺へ負傷者を悼んだ。けれど歳の暮れには、誰も彼もがあの悲惨な事件を忘れ去り、雪化粧におぼめく街並みへ神秘的な明かりを灯し始めた。  暮れ残る西方、ニフルハイム帝国の動向へ常々目を光らせるモルス国王は大広間を盛り立てる華やかな円舞曲へたまゆらの解放感を覚えた。冬の大舞踏会に胸躍らせる季節が来たのだ。淡く染め上げる雪花へ一年の終わりを感謝し、来年の息災を願う人々の顔は喜びに満ち溢れていた。  されども世間が明るく賑やかである代わりに、年が明ければ幾許もなく戦端の幕が切って落とされることを国王は知っていた。ニフルハイムとルシス、どちらが先駆けて火蓋を切るか定かでなけれど、これが戦前最後の晩餐会なるに違いない。だからこそ今宵の祭典がせめてもの慰めになればとつれづれに祈った。  鏡の中には白髪混じりの老爺が銀の冠を頂いて佇んでいた。研ぎ澄まされた神経には最善を追い求める明晰さが反照する。眉のあたりには万難へ魂引き裂かれし者だけ刻む苦悩があるも、情け無用と敵を断ずる非情さはおずおずと和らいで、年経るにつれ彼らしい遊び心が戻っていた。  ――私がドレスを選んだあの日、彼女もこんな風に自分の姿を眺めていたな。  永遠の友情を誓ったモルスには青春時代の見る影なく、長き風雪へ疾く疾くと老いさらばえてしまった。寄る年波に勝てぬまま、今この瞬間にも老弱して残る命を魔法障壁へ捧げる男は、密やかな想いを指輪へ籠めることしか出来ない。それでも史桜は生きていくのだろう。星灯りを吸いつくす宵の海として。 「……それは、とても寂しいことだな」  己だけが先に逝くことか。それとも女を独り残して去ることか。かつて自由と引き換えに身の安全を賜った女を、帝国に奪われぬよう大切に大切に硝子箱へ封じた。それが正しい選択だったか未だ分からぬけども、史桜を神の目から守るにはこれしか方法がなかったのだと自ら説き伏せて来た。  折に触れて、嫡子レギスが背後より現れた。着映えする黒いタキシードで身を包んでいる。かい繕った正装に負けず劣らぬ上品な立ち振る舞いが、愛しい亡き王妃を彷彿とさせた。 「父上、そろそろご挨拶をお願いします。皆待ちくたびれていますよ」  自ら行動派と称する愛息子は神出鬼没である。先まで花の宴に公爵閣下の相手をしていたはずだが、話終えると怱々、舞台袖へ戻ったらしい。苦労は知らずとも王家の者として強い使命感を裡に宿した息子は期待に胸を膨らませていた。 「もうそんな時間かね。ネクタイを締めるのに手間取っていたよ。この歳になると手先が不器用になって仕方ないな。さて、そろそろ行こう」 「分かりました、司会に伝えて来ますよ。……父上、心配事は沢山ありましょうが、今宵くらいは気兼ねなくお楽しみください」 「そなたは優しい息子だな。ありがとう。そうするよ」  モルスはことさら明るい貌を作って歓談に満ちた帳を見据えた。木管楽器のトリルが軽やかさを添えては、金管楽器の三拍子が招待客の精神を心ゆくばかりに浮足立たせる。紡ぐ音色ひとつひとつは天蓋に明滅する美しい星屑であり、是が非でも守らねばならぬ掌中の珠だった。  その数多ある輝きの中で神がモルスへ与えたもうたまったき一番星はレギスとメモリアだった。深みある緑の瞳が愉し気に細まって、きらきらと艶やかな夜に添い合わせる二人の遺し子。彼らを戦火に晒すなど考えたくもない。だのに世界は戦いを望んでいるのだ。  モルスは国王陛下の仮面を被って招待客の前へ進み出た。宝石のような粋を集めた眼差しには古代文明を紐解き、礎となる技術を理解せんとする悟性が閃く。足腰は弱っているのに凛と伸びた背筋が降りおりた年月を遮って、手負いの獣染みた殺意を王たる黒マントへひた隠しにしていた。 「紳士、淑女の皆さま、ようこそルシス王城へおいでくださいました。私はルシス国王のモルス・ルシス・チェラムと申します。今宵は建国記念祭に並ぶ大舞踏会、年越しパーティーです。どなた様もごゆるりとお楽しみください」  モルスが優雅に腕を広げると方方から歓声が上がった。王の御姿をまなこに映せば神々の寵愛を受けし子だと頭を垂れる貴族。片や瞳を潤ませる彼らへ取り入り、然らぬ体を装って政治に食い込もうとする大企業の重役達。皆が皆ささやかな企みを胸に、王城では盛大な晩餐会が、都では各々市民の盛り立てる年末祭が幕開けた。  王家の繁栄を言祝ぐ喝采が途切れると舞台下で指揮者が大きく腕を振るうた。楽隊が息を吸う音――数拍置いて厳かに始まる舞踏曲。旋律に乗ってレギス王子が一歩踏み出せば、パートナーを務めるアウライア公爵令嬢の手を取り輪の中心へ身を投じた。持ち前の運動神経で令嬢の軽捷な足取りをエスコートする彼こそ今夜の主役だろうと思われた。  人々は麗しい男女の舞に我知らず魅入っていたが、やがて夜空を焦がす踊りが終わると連れ立って円舞の世界へ躍り出た。貴婦人の金絹が花弁のように裾を開き、澄んだ雨上がりに傘を広げたような瑞々しい円を描く。その輪がひとつふたつ、増えては減って、モルスの目を楽しませた。  美しい画を余すところなく堪能するとルシス王は悠々と袖階段を下りて壁際へ目を走らせた。暗がりには黒みの強い藍ドレスに白い霞草が咲き、陶器の様な柔肌が浮いている。控えめに着飾った女は宴を嗜むでもなく、ゆったり坐して、思い思いの梢に胸裡を委ねていた。  ほどなく史桜の姿を認めたモルスは客人らへ当たらず障らずの挨拶を汲み交わしながら彼女の方へ足を向けた。されど突如、女は何に気づいたか、ふと立ち上がる。そうして飲み物を一つ手に取るなりバルコニーへ出て往った。見慣れた横顔には誰かを案じる様子があり、それが一等モルスの興を引いた。  器用に世間話を躱しつ会場を縦断する国王は彼女を追ってテラスへ近寄った。開け放たれた窓際には都心では珍しい粉雪が疎らに降り積もり、扉の可動域に沿って内と外を歴然と隔てる。風に漂う雪華は心此処に在らずに大広間の灯りを纏い、頬を濡らす無数の星屑と化していた。  眠らぬ都、インソムニア城下では幾重にも垂れ下がる白亜の簾が、か細く降り続けていた。その儚い更紗は謎めいた喚び声へ重なって音と言う音が柔らかな白銀へ吸い込まれる。するとあらゆるものが息を潜めて一途な静けさだけが世界の凡てとなった。  そんな雪夜に二つの影が揺らめいていた。一人は史桜。もう一人は黒い軍服を着用している。帯刀姿を見るに今宵の警護担当者か。ほろほろと散る桜のような雪を漆黒帽に積もらせ、とみに過酷な場所での待機命令を受けた彼へ同情を禁じ得えなかった。  さもありなん、史桜も同じ考えへ帰結したか、「またお祭りの日にお仕事なんですね。こんなところでは寒くありませんか」と戸惑いを顔に表した。 「建国記念祭も炎天下の警備担当ではありませんでしたか、コル?」  心鬱つ娘は武人らしい青年――否、もう少し若かろうがそう呼んで差し支えないように思えた――の待遇を自分のことのように愁いた。月下の宴にぬばたまの瞳が物案じて揺れる。星明かりも届かぬ森の小径を歩く度、背びらを返して影に紛れる女は、若者の将来を案じる親鳥だった。  かくて湖畔の波打ち際のように瞭らかならぬ線が青年の腕へ触れると、コルと呼ばれた隊員は片眉を持ち上げた。 「問題ない。そもそも警護隊がぬくぬくと遊んでいては仕事にならないだろう」 「でも、ここはまるきり外ですよ」  そう言って暖かい飲み物が手渡されれば、物ありげな視線を逸らす青年。 「俺は与えられた任務をこなすだけだ。だが……心遣いには感謝する。丁度、喉が渇いていた」  不愛想ながらも女の労りに絆される。鼻先を寒さに赤らめた男は湯気立つ容器を受け取り、珈琲の煎った香りで肺を一杯にした。目立って日灼けた面立ちは音に聞く異端児コル・リオニスだろうか。誰にも媚びぬ強い意志は黙して語らず、二心無き朴訥さが却って至上の義理堅さを醸し出す。 「そういうお前は出席している割に楽しそうではないな」 「ふふ。偉い方々が集まる場はあまり慣れなくて」  本日の舞踏会にはルシスの政を司る重鎮や貴族が大勢出席する。ならば史桜の立場を知る者も居よう。四方八方注がれる吝嗇なる眼差しが女を蝕むのだとすぐさま分かったが、老い切ったモルスからは彼らを説得せしめる影響力が日に日に削れている。歯痒さに苛まれて指先が白むほど杖頭を強く握りしめると、不意に鈴の音が転がった。 「……ええ、そう。貴方の仰る通り黙って座っているとついつい眠くなってしまうんです。だからコル、少しお話してくれませんか」  お仕事の邪魔しませんから。そう女が微笑んだ刹那、カヴァー地方より運ばれた北風が白紗の肩掛けを攫った。あ。と零す間もなく華奢な肩が露わになる。大きく開いた襟ぐりは薄い霜を渡る風に震えて、死を呼ぶばかりの寒空へなよなかな胸がみだりがましく撓んだ。  女の温もりを守る羽織が消えたと悟るなりリオニス隊員は深く身を屈めた。そうして反動をつけて飛び上がり、凍った屋根先を掴んで闇夜に漂浪するショールを捉えて眉ひとつ動かさず着地すればなだらかな肩へ戻すのだ。その姿は歳の離れた姉を労わる弟のようでも、想い懸けた彼女を慮る良人のようでもあった。  睦まじい姿を認めた国王は視線を逸らし、歩き疲れた振りをしてバルコニーを臨む長椅子に腰掛けて耳ばかり鋭敏に欹てた。かの青年には女を童心へ帰らせる何かがあるらしい。モルスにとってそれは史桜だったが、彼女にとって国王はそうなれなかった。二人は強い絆を築きはしたが、神の定めた罪人と弁護人という関係性が真に寄り添うことを阻んだ。  ふとしも足元を薄ら寒い風が通った。面を上げるとすぐ傍に情け深い夜の海があった。それに寄り添うよう鋭い水景色が隣にあって、二対のまなこが国王陛下を案じていた。老人へ心を砕くは見初めた日とちっとも変わらぬ相貌だ。今しがた気付いた風に「やあ史桜」と笑い掛ければ一陣の風花が身を切るように大広間を吹き抜けた。 「陛下、どうなされました。具合でも悪いのですか」 「いいや、遠い昔を懐かしんでいただけだ。心配を掛けたな。……と、そろそろ失礼するよ。公務を終わらせなければならないのでな」 「でも表情が優れません。お水取って来ますね――お食事も取っていらっしゃらないのでしょう? コル、陛下をお願いします」  はしなくも楽隊の音が二曲目を演奏し終えて僅かな沈黙が落ちた。だのにモルスの胸を打つ奇妙な鼓動は星を割る地響きのように閉め切った玉座の扉を荒々しく叩くのだ。燦然と照る太陽の下、追い募る病魔を振り払い、女を明るい世界へ誘う者はこの若者かもしれないと過ぎる思いがあった。 *  女が雑踏に消えると若き隊員と国王だけが窓辺に残された。満を持して麒麟児と言葉を交わす機会を得たらしい。異例入隊を果たし、丘の事件に巻き込まれた挙句、王都シガイ発生事件で神殺しの女を助け出した天才剣士――ウィスカムの報告へしばしば登場する人材にはずっと関心があった。  後ろ手に腕を組み、整列休めの姿勢を保つ青年をモルスは丹念に窺った。近くで見ると子供らしい幼らしさがある。とは言え上背は既にクレイラスと遜色なく、一介の警護隊員にしておくには惜しい焔が備わる。けれども無鉄砲な危うさが端々に垣間見られると、なるほど史桜が世話を焼く訳だと合点がいった。 「コル・リオニス隊員だったかね。かねがね噂は聞いておるよ。ひとたび戦場に出れば大活躍すると有名だ。クレイラスが手塩に掛けるだけある」 「国王陛下に名前を存じて頂けるとは光栄の至りです」  国家最高権力者を前にしても悠然と構える若獅子には恐れ入る。否、青年はモルスを国王として形式上敬いはせど、誠に尊敬などしておらぬのだ。品定めするような双眸は力に酔った独り善がりな兆しがあるも、ご機嫌取りの忖度に慣れ切った老人には新鮮に映った。 「シガイから史桜を助けてくれたそうだな。礼を述べるのが遅くなってすまない。ありがとう」 「命の恩人を助けるのは当然のこと。ですから感謝も謝罪も不要です。自分は警護隊の一員として最善を尽くしたまで」  国王の謝辞を退けるなど不敬の塊である。だが青年の面差しは確かな実力に基づく自信に満ち溢れて、国王がいずれ彼を必要とするだろうこと、王家が守るに値する存在だと示されるまで決して頭を垂れないことをありありと物語っていた。  あろう事かモルスは身の証しを立てることを求められていたのだ。国王であるのに、否、国王であるからこそ、彼の盾となり玉の緒を投げ出せと命じる権利があるか、王たる真価を問われていた。それはまさしく史桜の処刑を求める六神に対して、戴冠以来彼自ら行って来た振る舞いとそっくり同じだった。 「ふむ……リオニス隊員、そなたは強い。そこに疑問の余地はない。だが話によれば自分の能力を過信するきらいがあるな。もしもあの時――シガイに追われる史桜を助けに行った時、僅かでも力が足りなければ彼女もろとも命を落としていたのだと理解は出来ているかね」 「はい、承知しております。ですが俺達は助かりました。それが凡ての答えではありませんか」  少年の欠点は、傲慢、これ一つに集約されていた。諭せど諭せど行き詰まる意思疎通に白旗を挙げる。なお悪いのは彼が真実強いことだ。つらつら行いを顧みさせたとしても、大人達の戒めは説得力に欠ける。かくして悉く宙を見つめて質疑応答に応える青年だったが、どうした訳か、つと直立して軍靴を鳴らした。 「国王陛下。発言をお許し頂けますか」  首肯して先を促すモルス。遠くで史桜がシャンパングラスを片手に群衆の間を縫い歩く姿が見えた。されどリオニス隊員と国王の周囲には潮引くようにこれまた人がおらず、雪の降る音がしんしんと頭の中で鳴り響く錯覚があった。 「陛下は何故、自分を疑わないのですか」 「……丘の件を述べているのかね」 「はい、そうです」  あの地へ彷徨い込んで深手を負った当事者だけに、シド辺りから帝国の仕業だったと知らされたのだろう。青年は歯咬みするように今後検討されるべき問題点を腹蔵なく綴った。 「本来ならばあのタイミングで侵入した者を真っ先に疑って然るべきです。しかし自分は一向に言及されない。泳がされているのかと思っておりましたが、何故侵入したかは問われど、子供というだけで責め苦を受けず、ましてや最新の分析結果と共に新たな秘密を知る立場となりました。それはルシス国にとって果たして正しいことでしょうか」 「では、そなたは帝国の手先だと?」 「いいえ違います。我が大太刀に誓って。しかしその可能性は子供という理由だけで払拭出来るものではありません。もっと自分を疑うべきです」  リオニス隊員を疑うこと。それは誰にも奪われてはならぬ権利だと信じ切っているようだった。渾身の力で体当たりを図った獅子を、モルスは老人の知恵を駆使して真正面から受け止めた。 「言い得て妙だな。噂に寄ればそなたほど才能ある剣士はそうそうおるまいて、装置を壊しつつ上手く番人から逃げ延びることは可能かもしれぬ。しかし、だからと言ってそなたが犯人だと思う者はおるまい。その理由は既にクレイラスから聞かされていようが?」 「忘我の森、ですか」 「そうだ。あの地がそなたを『そう』と示した。ならば改めて疑う理由はあるまい」  残念ながら王家が青年を十二分に信用しているとは――今はまだ――言い難い。彼がモルスの価値を見定めているのと同様に。しかし忘我の森は王家へ忠するものを選び出し、一方で背信を抱く人間を炙り出す役目を持つ。そして謎めいた土地を訪れたリオニス隊員は森で遭遇した事故を巨細に憶えていた。 「そなたはルシスに反旗を翻さない。なればこそあの花を託したいと思っておる。彼女は、誰も殺していないのだから」  猫のように輝く水色の瞳が「何の話か」と問うていた。けれど、老い先短い道化の諧謔をいかにも見識張って耳を傾けるなぞ愚かの極みだ。王の独白には遁世する剣神へ籠めた批難がひと欠片、いずれ真実を知るであろう青年へ史桜という徒花を託さんとする願いがひと欠片、それらが漉き込んだ冷気に寄せて野放図に放たれた。 「猛き獅子よ、先ほど、二人とも生き残ったことが凡ての答えだと申したな。だがそなたは未だそれが指し示す意味を知らぬ。彼女に関しては全くの無知だとさえ言えよう」  何もかもを知った気になるのはまだ早いと戒める。 「早く親衛隊まで上って来たまえ。さすれば本当に凡てを知る機会を授けよう。なんとなれば今はただこの言葉を覚えておれ――忘れじの川の物語」  史桜と入れ違いに立ち上がったモルスは挨拶回りを息子に任せてダンスホールを後にした。戦争が迫る今、舞踏会だからと日々の公務を疎かに出来ない。かくて執務室の前へ差しかかれば扉の隙間から室内灯が漏れていた。大方宰相だろう。祝祭にも顔出さず激務に追われる親友は夜の臥床も厭うて数ヶ月休み無しだった。  今日くらい代わるから休んでこい、そう告げるべくノックをすると思いがけず屈強な青年が扉を開けた。 「我が友……と、クレイラスではないか。こんな日にそなたも仕事か?」  思い起こせば彼の姿も舞踏会になかった。アミティシア家の特徴として彼らはひとたび祭典へ参加すれば身分問わず黄色い歓声が上がる。常々話題を攫う貴族が親子揃って大催しを欠席し、辛い務めに際して執務室に籠るとは何事かあったに違いない。 「驚かせて申し訳ありません。父と王都シガイ発生地域の中心地について議論を重ねておりました」 「その件か。連日すまないな。しかし今日でなくとも良かったのではないか。そなたと踊りたがる娘は大勢居よう」  代々女泣かせの武家である。その血を受け継ぐクレイラスも貴婦人の愛を総舐めにするだろうと揶揄えば、白い歯が電灯に輝いて、よろめき入った暗い木陰に事を為す男臭さが漂った。彼らは力の象徴として軍備強化の傍ら、結界装置の検証と並行した調査を推し進めていた。 「発生地域は北西方面だと聞いておるが。それ以上のことが分かったのかね」 「はい。陛下……非常に悪いご報告です。装置故障の件など鑑みた結果、王家の丘からシガイが湧いた可能性が濃厚です」  祝いの席でかようなご報告をしなければならぬとは大変心苦しいのですが、と親友の子息は頭を垂れた。壁にはめいめい画鋲を刺した王都全図が張られて細やかな情報共有がなされていた。 「この地図は当日流れた無線の救援報告へ、一般市民による重軽傷者の数と、建物の崩壊状況を合わせ、最後に都民の目撃情報を加えたものです。それに寄ると、陛下もご存知の通り、北へ近付くほど被害状況は大きく重傷者も増えます。救援を求める警備隊員の無線記録を見ても北方地域の方が連絡時刻が早いため、そちらを重点的に長らく調査を進めて参りました」  駁して、南方地域より救援報告が入ったのは史桜が城を出た以降。つまり彼女が南に移動したことで北に湧いた病魔が散じて、南方地域でも目撃情報が出るようになった。しかし魔蛸オルトロスがあれだけの数を直接引き連れて来たとは考え難い。仮に外から入ったとして、魔法障壁をすり抜けることが可能なら大問題であるし、内側から湧くとなればそれこそ前代未聞だ。そこで被害が一等大きい地域を中心に親衛隊は痕跡を辿っていた。 「しかしこの半年、どれだけ虱潰しに探してもそれらしき物は見当たらない。そもそもどんな物かさえ見当も付かない状況でありますが、シドから魔導波の報告を聞いた折、ふと思い当たりました。親衛隊が見逃している場所が一箇所あるのではないか、と」  その地こそ王家の丘だった。まさか神聖なる禁足地より病魔が現れるとは誰も思っておらず親衛隊も失念していたらしい。されどあの地を司る結界装置が帝国の手で破壊された事実があるなら、シガイ発生事件に関しても入念な調査が要るだろう。そう考えた彼は、シド、レギス、ウィスカムと言った立ち入りを許されている僅かな人間の協力を経て数ヶ月に及ぶ地道な探究を始めた。その結果、忘我の森を流れる川縁より魔物が現れた可能性が高いと判明した。  すると息子の報告を補足するよう、宰相が複数枚の写真を並べて、 「見ろモルス。これが森の捜索結果だ。事件から多少時間は経つものの、今は一人も住んでおらぬ状況である。だから自然の営み以外誰も手を加えておらんと想定して調査した。葉叢の折れ加減、木々に付いた傷跡、番人との戦闘痕。これら点と点を繋いだ先の線が忘我の森――とみに湖や小川付近へ異常なほど集中している。いわんや、かの森に関することなれば、シガイ発生事件も故障した装置と同じく帝国による画策があったと見て構わんだろう?」と漠とした不安を霞のように棚引かせた。  機械文明の空鳴る悪意がとうとう蟲毒の中へ投げ込まれた。百年前に起きた世界大戦の弑逆は所謂力負けをした結果の敗北だったが、此度は一筋縄ではいかぬ予感があった。何者かが内側からルシスを篭絡し、尊い時間を腐食させて、単なる欲望では片づけられようもない怨嗟の糸を張り巡らせていた。  この世界で王が背負うべきはクリスタルの輝きだ。それはまさしく星の粋であり民の願いだ。ひとたび戦となれば未来を担う身命も戦場に沈んでいこうが、どれほど屍を重ねようと王が真っ先に斃れることは許されない。憂いわしい闇の匂いに強い眩暈を覚えて杖へ寄り掛かれば、その昔、沈思に耽った父の気持ちが初めて理解できた。 一章キングズテイル編 完結/二章大戦編へ続く
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参考 FFXV OST Volume 1 Disc3
'綺羅星円舞曲'

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