悲台Day 0 本編前・馴初め編
-月島-

第二話 金の撚り糸

- きんのよりいと -

 北の金融街・小樽にまだ運河が存在しない頃の話である。郊外に住む女性を訪ねるため原生林に紛れ込んだ月島は、頭巾を目深に被り混沌とした時代に息を潜めた。三人、いや四人。少なくとも肉眼で確認出来る人数は片手で数える程度か。目頭から口元に掛けて大きな皺の目立つ男が素早く合図を送ると、丸顔の部下が銃身を掲げ、上官に続いて全弾を放出した。 「全員やったか、前山?」 「だと思います」  目視で四つ、耳を頼りに直撃させたものが一つ。この至近距離なら外すこともないだろうが有無を言わさず一撃で仕留めるとは良い部下を持ったものだ。月島は射殺命令の出ていた重罪人の身元を確認し、高鳴りを忘れた鼓動をそのままに、萎えた心地で葉叢の血を拭き取った。 「後片付けは頼んだぞ。俺は先を急ぐ」 「了解しました。軍曹は早く行ってあげてください」  進む度に深く刻まれる軍靴の跡。指の血痕を雪で拭えば小さな轍をさらさらした白粉が直ちに覆い隠していった。先ほどの死体も冬籠もりし損ねた動物の貴重な糧となってくれるだろう。しかしこの奥に住む彼女の安否を確認せずには居ても立っても居られず懸念が胸の裡を焼いた。  一歩一歩、山際へ近づくほど音が浸み入り静けさが氷柱のように滴っていく。見返れば一面に夕映えの映る水平線が尖り帽子の連なりに濃い陰を落としていた。冬の日の出は短い。昼刻を過ぎたばかりだと言うのに暮れ簿迫る北の大地へ、何もかもを投げ捨てて、薄荷なような儚い幸せを再び得てみたいとどこかで考える己を認めた。 「ごめんください」  アイヌの集落とも小樽の町とも幾分距離がある山林。そこに君島史桜の借家はあった。今にも壊れそうな古木扉を叩くと家の外観に似つかわしくない小綺麗な女性が姿を現した。 「お久しぶりです、史桜さん。鶴見中尉殿から伝令です。先にお読みください」 「こんにちは月島さん。いつも遠いところ有り難うございます。伝令って何でしょう」  内容は存ぜぬ、と被りを振る月島。されど伝令役に自分が据えられたことを考慮すれば大事な用だろうと行きしな反芻していたことを伝えた。浮かない面持ちで月島と手紙を見比べ、寒かったでしょう、どうぞ暖まって、と奥に誘う史桜。軍隊仕込みの威勢良い返事で応えつつ、勝手知ったる風に動くのもどうかと、月島は一寸立ち止まった。が、彼女が柱の陰から白い貌を出してにっこり微笑むものだから一礼して火鉢に寄り添うことにした。  町から離れたこの辺りは一段と冷え込むようだ。一人で暮らすには不便この上ない場所だのに、史桜はもう十年近くここで暮らしていた。彼女と月島の出会いもその頃だろうか。かつて天涯孤独で北の地を踏んだ彼女は札幌旧屯田兵拠点あたりの養家に入った。だが、その後鶴見中尉に勧められ小樽へ移り住んだのが親交の始まりだった。  月島は彼女が引っ込んでいるうちに鞄を広げ、てきぱきと書籍を数冊取り出す。万遍なく織り込まれた日の光は既に山間へ落ちたか、室内に届かず、蝋燭を拝借した。 「次の目録はどうしようか……。うーむ。史桜さんに選んでもらったほうが良いか」  彼女の養家・君島家は旧士族出身の初期屯田兵でありながら西洋学問に長け、開拓のため諸外国から招いた農学者と親しくしていたそうだ。さりとて旧幕府軍の中でも真っ先に没落したことを考えればさほど名家でなかったようだが、実の息子達は農学校へ入校するなど志高く、一家は北の土地を悉く知らんとアイヌとも親密な関係を築いたと聞く。そのため文明人と関わり深い鶴見中尉の目へ自然と留まるところとなった。  惜しむらくはその秀家も、今や彼女と、もう一人しか生き残ってはいないことか。 「ところで。史桜さん、最近変わったことはないですか? 変な人が来たとか……」  先ほど射殺した犯罪者に余罪がないか。そんな意図でやんわり職務質問を行う。すると「特にないですねえ」と返る。 「ああ。でも珍しい行商の方はいらっしゃいましたよ。旧幕府時代の遺品を探して、修繕して売り払うんだとか。三、四人連れでした」 「さっきの男達だな。それで家に上げたんですか?」 「いいえ。わたしがただの養女だと分かったら門前払いする間もなく立ち去って行きました。でもどうして引っ越し先が分かったんでしょうね。移り住んで大分経つのに……あら」 「史桜さん?」  締めの声が少し浮ついていたので怪訝に思い立ち上がった。裏戸の側では透いた鼻梁、あばたもない白い頬から項、鎖骨の辺りを小さな小さな電灯が照らし、史桜が中尉殿からの手紙を食い入るように読んでいた。 「内容に何か不審な点がありましたか」 「いいえ特に。鶴見中尉が内々でお茶会を開かれるのですね。お誘いのお手紙でした」 「……は?」  なんだそれは。聞いていないぞ。彼女に頼んでいる仕事を中止するとか、講師のお役目御免だとか、そういった深刻な中身を想像していた彼は間抜け面で鉛筆を取り落とした。内々に開催って誰が準備するんだ? いや、しかし、それだけのために自分に伝令を頼むだろうか。あの人の考えていることは分からん、と屈強な兵士は唸った。 「宜しいのでしょうか。部外者がお邪魔して」 「まあ鶴見中尉は史桜さんの慧眼を見込まれているので。日頃の礼を兼ねて、ということではありませんか」  月島は胡座のまま彼女へ向き直り、問わず語りにこう付け加えた。 「下世話な話ですが、へたな外国人教師にこまごました仕事を依頼すれば今史桜さんへお支払いしている給金どころではなくなります。万年火の車である我らにとって、あなたのご助力は二重の意味で願ったり叶ったりなのです」  淡々と慰める男に彼女は面映く目尻を垂れた。そうですか、では固い話はここまでにしましょうか。彼女は乾いた手を叩き、準備万端に待機する月島の隣へ座した。火鉢の爆ぜる音が紙を捲るそれに重なる。史桜の朱筆が月島の黒墨を塗りつぶす。ああしよう、こうしよう、と月島の提案へ軽快に是非が下されていく。  ふと、彼は遠く夏雲を張り巡らせた故郷でこんな光景を見た気がした。これほど近づいても互いに平静なのだ、格別な意識はせず、さような関係からも縁遠い。しかし過去へ置き去りにして来た心の欠片が火鉢の中で生き返った錯覚に陥ると、たちまち勢い付き、燃え盛る炉端のごとく痼りを溶かして修繕不能な亀裂を刻んでいった。  訪れた時間が遅かったので、凡てが終わると小屋の外は早々と漆黒に覆われていた。二日間降り続いていた雪は止んでいる。この天候なら前山は手早く片付けを済ませられたろうと一人ごちた。 「前山さんですか? いらっしゃってるんですか?」 「いや。ですが途中まで一緒に……あ」  月島は、はっと口を噤んだ。ここには彼一人で来ている設定である。だが特に訝られた気配もなく。成熟して落ち着き払ったその女性は「ではお帰りはご一緒になりますか」と風呂敷に何かを包み始めた。見れば水筒に詰めた汁物である。月島が此度の報告をしたためていた最中、忙しなく煮ていたのはこれか、と合点がいった。と同時に、それ以上追求されなかったことに安堵し、己の落ち度に脂汗をかく。 「今から外へ出ては一等お寒いでしょう。ゆたんぽ代わりにお持ちください」  お時間あれば食べてお帰りくださいね。本当は、お泊まりになったほうが宜しいのでしょうけど……。気遣いを以て邪念なく伏せられた瞳はしどけなく撓んだ着物の袂を這った。この男ならば、食って、寝て、ただ帰るだけだ、と信頼されているのだろうか。しかしそれでなくとも彼女はなぜか、力のまま蹂躙してはならぬ、対等に扱わねばならぬ、という気にさせる。あれは良妻賢母タイプではないぞ、と評価を下した尾形の審美眼に納得して一寸笑った。 「ご機嫌ですね」 「すみません。思い出し笑いを」  へえ、と悪戯っぽく瞳を煌めかせた彼女。 「月島さん、いらした時は随分怖い顔されていたのに」 「オレ、さっきそんな怖い顔してましたか?」 「それはもう。人食い鬼のように!」  史桜の物真似――鬼というよりヒグマである――がことさら可笑しくて、頬張ったばかりの鍋を喉に詰まらせてしまった。とうの昔に糸は切れ生殺与奪に慣れたはずだったが血に染めた身体は敏感な者を脅かすらしい。再び眉間に寄った皺を史桜が窺って黙っていた。 「また怖い顔していますか?」 「……そうですねえ。というより、今は不安そうなお顔かもしれません。そんな時は美味しいご飯ですよ。白米がありますので今日はお腹をくちくして山をお降りください」  今日も、の誤りではないか。彼女は炊きたてのそれを嬉々としてよそった。月島を太らせようと言う魂胆に相違ない。だが大盛りの茶碗を頂戴すれば腹の虫が鳴る。山小屋をおとなう度に何かと理由を付けて胃袋を満たされ、その役目も月島ばかりなので、二階堂兄弟から嫌味が飛んでくるようになったことは黙って然るべし。  折節、山の深い方で銃声が響いた。こんな日が落ちてから狩りでしょうか。君島家の養女は瞠目する。すると月島は格子窓を仰ぎ見、肯うとも否むでもなく鍋と米を掻き込むと「ご馳走さまでした。そろそろお暇致します」と歯噛みするように軍靴を鳴らした。 「鶴見中尉殿にお返事のお手紙をお渡しください。宜しくお伝えくださいね。帰路にお気を付けて」 「承りました。では、また」 「はい。また来てください」 「もちろんです。……あ。でも最後に一つ。史桜さん、ぜひ町中へ引っ越すことを真剣にお考えください。妙齢の女性が一人でこんな場所へお住まいになるのは危険が多すぎますから。先の行商人も、もしかしたら連続殺人犯だったかもしれませんよ」  重ね重ねお願い申し上げます。と、軍帽の鍔を一寸浮かせて坂道を駆け下りて行った。それから笹薮へ飛び込むと彼女が雪掻きを終えたのを確認して、山側へ迂回した。 * 「軍曹、凍え死んじゃうかと思いましたよ」 「すまん前山。しばらく交代だ。ほら史桜さんの鍋だぞ、作りたてだから直ぐ食うと良い」  美味しいもの食べてたの知ってるんですからね、と戦友の抗議に月島は胸が痛んだ。前山はこんな暗がりで監視作業に徹していたというのに、自分と来たら火鉢の側で暖かい飯を食んでいたのだ。双眼鏡を手渡され、きりりと冷え切った金属から前山の苦労を知る。レンズ越しの彼女は夕餉の続きに手を付けていた。 「まあ……史桜さん楽しそうだったから良いですよ。一人でご飯って寂しいから。でも町に住めば鶴見中尉が毎晩ご飯誘ってくれそうなのになあ」  もしかしてそれが嫌だとか? えっそうだったらどうしよう! などと焦燥する小太りの男。月島も同じことを思案しなかったとは言えまい。だがそもそも彼女が養家を出て小樽へ越してきた経緯を思えば別の理由だろう。民衆は茜射すような艶やかさ越しに、人殺しとは別種の、命はぎ取る涸死の気配をへ感じ取るのだ。 「次の見張りに誰かが来るはずだ。それまで俺が見ているから奥で火に当たってこい」 「ありがとうございます。……そういえば、伝令。内容は何だったんですか」 「ん? あー、うん……アレか。中尉殿からそのうち報せがあるだろう」  投げやりに追い返す。例のお茶会は単なる好意とも取れるが、月島の知る上官なら何かを仕掛ける気でいるはずだ。意図が判然とせぬ以上、中尉ご本人からご説明いただくのが最善だと思いなした。  開け放した窓から彼女の横顔が覗く。夕餉の後は決まって独りでごろ寝である。中尉の命で君島家の監視を続けて幾年にもなるが、亡き親共々これと言った動きはない。刺青人皮、金塊、とある旧士族の秘密――こと三つ目に関して、月島は徒労に終わるよう願った。  街の方角から軍服姿の男が闇に紛れて登って来た。お疲れ様です、と卓抜した兵士は敬礼した。尾形上等兵が引き継ぐらしい。彼は底冷えする風巻に、月島への舌打ちを添えた。 「ほう。良い思いをされたそうで」 「分かるか?」 「匂いますよ。飯の香り。少し仲良くし過ぎではありませんか」 「……すまん。気を付ける」  ま、構やしないです。俺の分も残っているのでしょう。そう冷ややかに笑う男へ彼女を託すのは躊躇いがあった。だが交代は交代だ。土産を平らげほくほく顔の前山と帰投準備に掛かる。ややもすると、いよいよその場を離れる時になって、尾形が根城とする針葉樹から声が降った。 「ああ……そうだ。お二人共ご存知ですか。二十年ほど前、里子に出されて行方が分からなくなっていた君島家の末っ子のこと」 「覚えている。二○三高地で会ったことあるな」 「彼の者は鶴見中尉殿の計らいで第一師団から第七師団へ転属することになりました。名を確か章介と言います。……あの化け物を、中尉殿がどう誑し込むのか見物ですね」  統括する立場にある月島は既に知った情報だった。中尉自ら引き抜いたもう一人の君島家。能力が高く、度々中央の子飼いと呼ばれている人物だ。そんな者が反乱分子である朱に交じわることが出来るのか。すると考えることは同じか、上等兵は皮肉たっぷりに猫撫で声を出した。 「ふん。中央のスパイでなければ良いが、な」  秀でた一輪と、たおやかな一輪。命令が下ればどちらも射殺すことを躊躇わぬ男に本能的な警戒心が湧き起こった。腹の下で際立った昂奮を飲み込み顔を背ける。瞬間生まれた、ごくごく小さなこの敵愾心は隠さねばならぬと思った。月島はいつしか灯りの消えた借家を一瞥、山積みの仕事をこなすため懸念を押し留めて耳馴染みある喧騒へと帰還していった。

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