鍾愛point 0 System Down
史桜

第二話 二人の忍田

「よーし、もっかい訊くぞ。史桜ちゃん、君のフルネームはなんですかー?」  団欒する隊員の野太い声が私を深いまどろみから引き上げた。彼らの故郷・三門市へ帰還する道すがらの出来事である。幼子であることを盾に、忍田さんの膝上で堂々と転た寝をしていた私は、やぶらかぼうに揺り起こされて固い床へ転がり落ちた。 「いたァ」 「こら。子供に乱暴するものじゃない」 「すみません、忍田さんの妹さんに怪我させたら大変だ」 「いや。私の身内ということを除いても幼子は大切に扱いなさい……」  耳を引っ張られて呻く隊員が逞しい両腕を振り回して謝罪していた。狭い船室はそれだけで圧迫感がある。乙に澄ました私は膝を抱えて二人のやり取りを見守るも、先の隊員が不意にこちらを一瞥、好奇心を込めたまなざしで答えを求めていた。 「……私、君島史桜です。忍田じゃありません」  拾われてから何度目かの質問にげんなりと肩を落とした。上の空でお決まりの言葉を返す。それは一日前とも、先刻とも変わらぬ内容で、彼らは取り付く島もない。幾ら問われても望む答えは返せないのだ。なぜなら私は忍田などという苗字に心当たりなどなかったから。 「忍田さん、実は妹さんと義兄妹だったんじゃ」 「そんなはずないだろう。失踪当時はあの子も私と同じ忍田だった。だが目覚めてからずっと君島と言い張っているんだ」  あまりに似ているせいで別人と思えず、本人に再三確認を取っているところだが、と男性。物量作戦を用いた戦いは往々にして有利というが、なるほど道理であった。記録上私の名は忍田史桜であるらしく、重ね重ね「君の苗字は忍田ではないか、よく思い出してくれ」と問われ続ければ、さしもの私も記憶違いだろうかと己を疑い始める。 「記憶が混濁しているのかもしれませんね。どちらにしろデータは忍田史桜ちゃんと明確に示してます。しかも一年前まで実際に接していた忍田さんがそうだと断言されるのでしたら、疑うべくもなく彼女では」  東と名乗った沈着な男性が仲間内へ事のあらましを説明するうち、目覚めて間もない私は徒然と白い大地を遠望し、かと思えば硝子に映る己の身体を見比べて摩訶不思議な現象に首を傾げた。例ならず丸い顔に短い手足。どこからどう見ても五歳前後の幼子である。私は既に成人していたはずだ。しかし別人の身体を操っているような違和感はない。だのに彼らは私を君島史桜ではなく忍田史桜と呼ぶ。生体反応も一致しており、やはり君島史桜などという人間は存在しなかったのだろうかと思案に暮れた。  「門〈ゲート〉、開門」  浮遊感に包まれた遠征艇。兄だと譲らぬ忍田さんが号令を掛けると一寸置いて重力が戻った。足元から伝わる振動に歯を食いしばって耐えていると、男性の大きな手が宥めるように頭を撫ぜていき、たちまち恐怖感は薄れていった。するするとハッチが開いていく。覗き込めば浪浪と降りしきる雷雨へ、 「ただいま!」 「おかえりさない!」と帰還を祝う言葉が負けじと轟いていた。 「帰って早々に雨とはな。しかしまあ、ペセルの吹雪よりマシか」  そう誰かがぼやいていたが少なくとも忍田さんではなかったと思う。  時節は七月。こちらへ戻れば行き合いの空、良い頃合いで七夕が見られると聞いていたが、当の三門市はのどかな陽光ではなく時候外れの曇天で出迎えてくれた。地面を抉り取る大粒の雫が足元を濡らす。丈低き私が顔に跳ねた泥を袖で拭っていると、忍田さんが小さな身体を脇に抱えて建物へ入っていった。 「遠征隊、帰還しました」  忍田さんに運ばれて来たのは変哲もない会議室だった。かくて私達が入室したと思うが早いか、激しい好奇の目が全身へ注がれてこの上なく気が滅入る。同時に誰かが息を飲む音に耳立った。私は長机の上で正座し、忍田さんの口から林藤、城戸、最上、その他諸々の名前が挙がるのを拝聴していた。 「(ここって何なんだろう。秘密結社みたい……)」  大事な話し合いの間、彼らは背筋を伸ばして居ずまいを正す奇妙な子供のことなど気に留めまいと苦心していた。けれど末席に座る眼鏡の男性――たしか林藤と名乗っていた――は棒付き飴を分けてくれたり、結わえた髪をぐしゃぐしゃと撫で回したり、数日間私と共に過ごした遠征隊が笑いを耐えるのに必死なほどであった。 「──結論を述べる。今回の遠征はトリガー回収ではなく、近界の状況を調べるためだった。その目的は十分に達成された」  やがて忍田さんが報告を締めた。遠征、近界、トリガー。とんと聞き及ばぬ単語が宙を飛び交い、私はひたすら己の置かれた状況を把握せんと耳をそばだてていた。警察のような仕事らしいが、どことなく非現実的な会話に聞こえる。遅まきながら、私は忍田さん率いる遠征隊が海外でも宇宙でもない、謎の世界を旅していたのだと合点した。 「で? 不時着した原因って何だったんだ」  私と戯れていた眼鏡の男性が話のつぎ穂を見つけて暢気に口を差し挟んだ。 「不明だ。急に故障したと思えば突然回復したので、原因を探る余裕がなかった」 「あー思ったとおりか。さっき届いた技術班の報告書にも不良箇所は見当たらないって書かれてたしな」  ペセルが関係していると考えたほうが自然だな、と眼鏡男が唸ると、忍田さんも神妙に面を伏せて息衝いた。 「あの国ほんとに滅んでたのか?」 「ああ……まるで墓場だった。数ヶ月前からあの状態だったと考えると生存者はいないだろう」 「トリガー使いは?」 「視認できる限り、人っ子一人いなかった」  かの地を飛び立つ寸前、ハッチから見降ろした光景を一人想起する。何かを覆い隠すように鬱蒼と吹きすさぶ粉雪は小さな旋風を作り、遠征艇の灯火へ煌めく六花を巻き込んで軽やかに駆け抜けていく。どこかに湖でもあるのか、張り詰めた氷のひび割れる音が夜半のしじまへ混じ入り、微かな隙間、遠征艇の四方八方からぬくもりを奪い去るのだ。その彼方、吹雪に晒されて久しい針葉樹が雪の重みで大きくしなり、連綿と積み重なる雪山へ頭を埋めていた。 「そうか。あいわかった。遠征は成功と判断しよう。しかし、まだひとつ説明を受けていない事案があるようだが」  たまさか硬質な声音が背筋を貫いた。たった一言で空気を変える上座の男──射貫く眼差しを投げ掛けていたその男性へ、忍田さんが「城戸さん」と続く言葉を遮った。 「紹介が遅れました。妹の史桜です。城戸さんもご存じでしょう、一年前のことを」 「ああ覚えている。失踪当時、付近に近界人の姿はなく、頭上に開いた巨大な門へ吸い込まれたと聞く。あの時はよもや生きておるまいと考えていた。再会できてなによりだ」  後から林藤さんに伺ったことだが、城戸さんも忍田史桜と顔馴染みであり、私のことはすぐに判別出来たという。私は少女の失踪経緯を知り身の毛がよだった。見知らぬ場所へ放り出された当時の忍田史桜はどんな気持ちだったろう。私自身、似た境遇であるはずなのに、相手が物心も付かぬ幼子であるというだけで同情を禁じ得なかった。  最高指導者とおぼしき彼は顔色一つ崩さず「だが、なにぶん生還者は珍しい。何があるかわかったものではないな」と、あの星を彷彿とさせる冷眼を注いだ。 「報告によると、その少女は、忍田にあらずと食い下がっているとか」  出来る男は笑みの中に刃を隠すと言うがこの男に笑顔など存在しないのではないか。子供相手でも容赦せぬ冷徹さに身を震わせ、私は膝上で重ねた両掌を我知らず握り締めた。 「兄である君に直接問おう。幼子はたった一年でこれほど大人びた表情をするものだろうか?」  にべもない。なにせ私の中身は――自我、記憶、意識など呼称は頓着せぬ――歴とした大人なのだから。今更に無邪気な顔をせよと命令されても不可能だと即答しよう。だからほら、やっぱり私は忍田史桜なんかじゃない、君島史桜なのだ、と記憶に自信を持った折りであった。 「姿形は確かに似ている。時折見せる面差しや振る舞いも、まごうことなく君の妹だ。だが真実、忍田史桜でなければ、私は彼女を三門市から攫われた『こちら側』の人間と認識しない。もしそこにいる子供がなおも別人だと言い張るならば……君の妹ではなく、『あちら側』からおとなった近界人として扱おう」  顔に傷が走る男は、さながら処刑人のごとく無慈悲な瞳を細めた。 「分かっていると思うが近界人は排除する。それが決まりだ。異論は?」  机を破壊せんばかりの勢いで反駁する忍田さんがいた。眉を曇らせ二人を諫める林藤さんもいた。ああ万事急須、私は虎の尾を踏んだのだと理解した。けれど妙に心は鎮まっていた。排除は死へ直結する、そう理解しているはずなのに、以前にも誰かと似たやり取りを交わした気がして淡々と成り行きを見守っていた。  しかしそんな私を憂慮したのか、背後で控えていた東さんが竟に沈黙を破り、切々と推論を振りまいた。幼子は自我が確立されておらず環境に影響を受けやすい。見知らぬ土地へ攫われるという苦難を経た後なら大人びても致し方ない。きっと記憶もどこかでいじられたのだろう。生体反応が一致しているのだからどう考えても忍田さんの妹さんだ――そんな塩梅だった気がする。すると青年の懸命な弁護あってか最高指導者はやや緊張を崩し、 「そこまで言うならもう一度チャンスをやろう」と私へ一瞥をくれた。 「求める答えと相違あれば近界人として排除する。忍田……返答如何によっては忍田史桜ではない、つまりお前の妹でないのだから、幾ら殺しても構わぬはずだ」 「……いいえ、彼女は私の妹です」  忍田さんが奥歯を噛みしめている。なるほど、ここは法廷なのだ。ただし法律は上座に鎮座するあの人自身。独裁者の指先一本でいくらでも血を見るのだと、私のこの胸に刻むしかなかった。  「では問う。忍田史桜……お前の名はそれで間違いないか? 忍田真史の妹だと、認めるか?」  ここで否めば断頭台へ直行か。なに嘆くことはない。第二の人生が始まるのだと考えれば良いのだ、と肺いっぱいに埃臭い空気を吸い込む。 「はい。私の名は忍田史桜であり、彼は私の兄です」 いまにして思えば最大限の譲歩だったのだろう。同僚の肉親、それが城戸さんの判断を和らげたのだ。忍田さんが物ありげに唇を一文字に結んだ。これから私の兄となる人。純真で可愛い妹だと思っていたのに中身は徒ならぬ小娘で申し訳ないとひねた笑みが漏れた。 世界には意志がある。気まぐれに偶然を引き起こすそれは、つまるところ人の意志の集合体であり、願いの強さが偶然を引き起こす。遠征隊があの地へ墜ちたのは偶然か、はたまた必然か。瞼の裏でほの黒い瞳が瞬いた。

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