鍾愛point 0 System Down
-遊真-
第三話 墜ちた偶像
世界に意志があるとして――それは何のために動いているのだろう――世界の存続のため、生物繁栄のため――それとも近界のように国同士を争わせて不毛なゲームをさせるため? 遊真、という親父の呼びかけを無視して俺は息絶えた屍の隣へ屈んだ。 「だったら、なんでこの国は滅んだんだ?」 丁度俺が産まれた頃だったか。大軍勢を相手に滅亡した乱星国家があった。名はペセル、偶像という異名を誇るかの小国は、ステルス機能を活用して近界を縦横無尽に飛び回り諍いを避けていた。しかしおおよそ九年前である。ペセルは突如、神国アフトクラトル軌道上へ姿を現わし活動を停止した。幻と謳われし乱星国家が肉眼で視認されたのは実に数十年ぶりだったと、この地へ降り立つ前にレプリカが語っていた。 なればこそ無気味に揺蕩う宝の山をそのまま易々と見逃す手はない、そう考えた各国は優秀なトリガー使いないしトリオンに満ちた潤沢な土壌を求めて次々と侵入していった。結果、ノーマルトリガーしか所持せぬ──ペセル本体を除き──かの地は敗北し凄惨たる荒野へ成り果てた。 俺は当時の姿を留めたまま絶命する男を小突いた。壊滅して何年も経つのに綺麗なものだ。けれど、どいつもこいつも、頭から首、胸を伝い腰まで緩やかに視線を落とすとそこから下がぷつりと途切れている。こんな最期は御免被りたいもんだ。そう渋面する一方、白練りがはらはらと彼の前髪へ掛かり嘆かわしい災厄を巧妙に面隠していく。この国が平和ボケしていなければもう少し事情が違ったろうに、俺は誰にもなくそうぼやいた。 「そうでもないが、遊真」 すると現地調査へ没頭していた親父がいつの間にかシャベルで雪原を刳り貫いていた。手伝ってくれと仰ぐ男。目に付く範囲だけでも弔うつもりか、雪の中へ埋葬したところでさして変わらんだろうと思うも、俺は親父に倣って穴へ降り立ち、せっせと雪を掻き出し始めた。 「……よっと。死体を埋めるならこの位でいいんじゃないか」 「いや、とにかく掘れ。この国について知りたいなら」 「どういう意味?」 まあ良いから、と空閑有吾こと俺の親父は、白い歯を煌めかせて雪塊を放り投げた。からりと笑うその男は近界の人間ではない。曰く、三門市という場所で暮らし、ボーダーという機関に所属していたらしい。酒で気分が高揚した時などは気前よく昔話を語ってくれるが、性懲りもなくモガミソウイチという名が頻出するせいで、その男だけははっきりと覚えている。 垂直に掘り進める親父を訝しげに眺めているとレプリカが滑らかな動きで現われた。尾を引いて浮遊する、丸くて黒い自律型トリオン兵。そいつは俺達を見比べ「ユーゴは埋葬するために掘っている訳ではなさそうだ」と無表情に回転した。 「えー違うのか? なら俺サボっていいかな」 「……それを決めるのは私ではない。ユーマ自身だ」 軽口を叩いたものの、父親が身体を張って肉体労働しているのに、息子が怠けていては面目が立たない。俺は目的も分からず指導されるがまませっせと手を動かした。と、やにわに何かがシャベルの先を弾いた。固い。俺はレプリカに注意を促されながら掘り進め、やっとのことで引き摺り出すと、それはなんと巨大な氷塊だった。 「レプリカ。これ何だと思う」 「この国が極寒冷地となる前に息絶え、雪に埋もれた代物」 そんなことは分かっている。要らぬ解説を付け加えるレプリカに唇を尖らせる。なんでも、親父の話じゃ、かつてのペセルはこれほど寒冷な地ではなく、海洋国家リーベリーのような豊かな自然に囲まれていた。だが戦争に負けて国家の根幹であった黒トリガーが失われると、大地は荒れ果てとこしえの凍原へと様変わりしたのだ。 俺は深い白雪の下へ埋もれていた兵士達をとくと眺め尽くした。傷つき怯えた形相。親の敵のように睨みを利かす貌もある。激しい戦地だったのだから屍が落ちているのは自然だが釈然としない気持ちになった。 「キオンにアフトクラトル、リーベリー、メノエイデス、レオフォリオ……ふーむ。名前の分からん国が他にもあるな。そもそも、どうしてこんなに色んな国旗があるんだ。なあ親父?」 「何だ息子に先越されてしまったか。……そうだ。驚くなかれ、この地の戦争には相当数の国が関わっている。ペセルが持つ黒トリガーを警戒して、近隣、ないし遠方の国家とも同盟を組んだんだ。今分かっている調査結果だけでも、攻め寄せた兵士の数はペセルの住民数をだいぶ上回っていたようだ」 攻め込んだ外敵は最低でも五ヶ国以上。この数を相手に長く防衛線を保つことは難しい。それをペセルという乱星国家は一年抗い続けたのだ――単身で。言葉に詰まった俺は右顧左眄し、 「……平和ボケした国なんて言って悪かったよ」と素直に謝罪した。間違った時はちゃんと謝る、それが親父との約束だ。 「ははは。もっと興味が湧いただろう? だがペセルの謎はこれだけじゃない……。この国はな、少数精鋭で防衛線を守り通した国なんだ。大地を潤すトリオンで育まれた優秀なトリガー使いが決死の覚悟で戦い続けたからと言われているが、不思議なことに、この国は戦争が始まって以来ひとつも黒トリガーを作っていない。国家の根幹たる『それ』を除いて」 この国はまだ余裕を残していたと見る研究者も少なくない。であるならば黒トリガーを作れば形勢逆転も夢ではなかったろうに。ならば油断したのか、と遊真は問うが、親父が否むより早くレプリカが口を挟んだ。 「後にユーゴと共に得た確かな情報筋によると、ペセルは防戦一方だった。外敵の攻撃をなんとか凌ぎ生き延びてはいたが気を緩める暇などなかったろう」 力を温存するに足る理由があったのだろうか。なるほど、黒トリガーの代償は大きい。しかしそれほど追い詰められた状況下ならば、少数の死で大勢が助かるならば、幾ばくかの犠牲など目を瞑るべきではないのか――敗北者となり搾取される他国を見て来た者ならその考えに至るのは何らおかしくない。そう、その、はずだった。 「ふむ。一筋縄ではいかぬ事情がありそうだね」 「だろう? 面白い国だ」 俺はその後幾日、忍耐強くフィールドワークを手伝い、満足げな親父と共に急ぎ足でペセルを発った。 * ペセルを離れて四日、俺達親子は各国の軌道を調査しながら、安全な場所を探し求めて彷徨っていた。どこの国へ逃げ込もうが大地を震わせる爆撃音は絶えない。殊にここいらは最前線が近く、俺は巻き込まれまいと瓦礫の隙間へ息を潜めていた。 「この戦いはすぐ勝敗が付きそう」 「そうだな。そのまま通り過ぎてくれると良いんだが」 名も知らぬ国と神国の争いは圧倒的勝差で神国が優勢だった。それでもなお抵抗を続ける弱小国はじりじりと後退し、親父と俺が即席で作った隠れ家にまで戦火は迫っていた。 「俺、早く逃げようって何回も言ったのに」 「うん。遊真の見立ては正しかったな」 「もう後の祭りだけどね」 「ははは、言うようになったなあ」 意見を聞き入れてもらえなかったことが悔しくて唇が尖る。けれども俺が臍を曲げていたのは、それだけが原因ではない。親父が何の目的でペセルへ足を踏み入れたか、今以て教えて貰っていないのだ。何かを得るためにあの地へ赴き雪を掘っていたのは確かであり、俺自身も加担しているはずである。なのに、それが何なのか見当も付かない。持ち帰った土産がある訳でなし、子供は知る必要がないと侮られている気分だった。 「親父、結局ペセルで何を調べてたんだ?」 硝煙の香りが鼻孔を突いた。もう時間がない。親父は安全な回り道を調べていたところだったが、あの顔を見るに旗色は悪そうだ。戦って逃げるしかないな、と俺はレプリカに囁き、もう一度親父へ畳み掛けた。 「あの後もひたすら穴掘ってたけど。良いもの見つかったの?」 「何も得られなかったな」 「なんと。あんだけ掘ったのに」 今を生き延びるのに忙しい親父は上の空で紙面へ指を滑らせていた。翻って無駄足を踏まされたのかと嘆息するのは俺だ。だが、それこそ求めていた答えだと言わんばかりに、さも嬉しそうに破顔する親父を認めると俺は苛立ちなどどうでも良くなった。 「そうだ。見つからなかったんだ。ペセル出身の死体がひとつも」 顧みれば、必死に掘った雪穴から見つかった屍はどれも他国の人間だ。国を守るべく死闘を繰り広げたならば、国家側の遺体も発見されてしかるべきなのに。灯台もと暗し、当たり前すぎて見えなかった事実に「あ」と大きな声が零れた。 「つまりペセルのトリガー使いが消えたっていうのは……死んだ訳じゃなくて」 折節、その驚きを覆い隠すように鼓膜を震わせたのは、目と鼻の先で始まった銃撃戦だった。 「――逃げろ、遊真!」 「え?」 生と死を分ける境界は瞬刻に訪れる。覆水盆に返らず、気付いた時にはそいつの人生が終わっていたなんてままあることだ。未熟な俺もそういう状況を何回か体験したことがあるけれど、いつも親父やレプリカの助太刀で露命を繋いでいたものだ。だが幸運の女神はそう何度も微笑んでくれるとは限らない。その時、空閑有吾が地図を投げ捨て、トリガーを起動して俺を庇うより早く、敵兵は親子の間へ割って入った。男が俺を狙っているのは明々白々だった。レプリカの「黒トリガーだ!」と言う切羽詰まった警告がどこか帳の向こうで聞こえていた。 「やっば――」 黒トリガー持ちと視界が絡まったその刹那、俺はもう間に合わないと心のどこかで諦めていた。それほど疾く的確だったのだ、暗殺者の動きが。けれど男がつと得物を奮った瞬間だった。黒煙に似たトリオンの飛沫が鮮やかに降りしぶいた。 「な、んだ……!」 そう叫んだのは俺か、黒トリガー使いか。大量のトリオンは男の脇腹から迸っていた。彼は辛うじて急所を避けたと見え、蹌踉けつつ返す刀で新手の斬撃を防いだ。俺は自分が五体満足であることを認め、首の皮一枚で助かったのだと悟った。 ――でも、なんで? 疑問に満ちた頭で周囲を入念に見渡すと知らぬ間に一人の女が風景に融け込んで佇立していた。歳の頃は二十代半ばか。斜め横で緩く結わえた毛髪が土埃に靡いている。薄皮の剥けたような柔肌、品良く紅を塗った唇は薄く開かれ、静謐な面立ちへ花を添えていた。その女は手慣れた仕草で攻撃を繰り出し、男を追い立てると、隙を突いて俺の前へ立ちはだかった。 「あの子供はトリガー使いだぞ。退け、連れ帰る」 「そうなのですか。貴重ですね」 ですが、と女が身を低める。 「私の目的はあなたのトリガー。この場を退くことは本意ではありません」 「だったら……勝ったほうがガキを連れ帰ることで良いよな」 瞬く間に黒トリガーの形態が変化して醜悪な武器を象った。前後左右から刃が女を襲えば、ノーマルトリガーであろう彼女に勝ち目はなさそうだった。 「……お後が宜しいようで」 しかし女からこれと言った焦燥は感ぜられない。感情の起伏が少ない平坦な口調で、凡てを言い終える前に地を蹴っていた。 ――アフトクラトル。 神国の紋が二の腕の腕章へ刻まれている。一般兵でもなさそうだが、通常のトリガー使いとも異なる装いに目を奪われていると、背後から現われた親父が圧状ずくめに俺の腕を鷲掴み、粉塵舞い上がる街道を雲を霞にひた走っていく。 「おい。親父、あの人ほっとくのか?」 「聞いてただろう。彼女の目的はあの兵士だ。俺達が無駄に割って入るべき戦いじゃない」 「でも助けてくれたのに」 「あの女が戦いに勝ったら、お前を攫っていくかもしれないぞ」 「そうだけど、御礼してないじゃん」 勝負の行方を見守る間もなく俺達は半刻ほど逃げ惑った。彼女は大丈夫だろうか。黒トリガー相手に勝てるのだろうか。などと心配で見返るが、余所見をするなと窘められてしまう。かくして国境線へ近づき、比較的争いが少ない隣国へ差し掛かろうという時だ。親父がやにわに臨戦態勢を取った。ああこんなところまで追ってきているのか――つまりあの女は殺されてしまったのか、と芯が冷えて唇を噛んだ。だが向き直った視線の先には、印象的な光を湛えた黒ずくめの彼女が佇んでいた。 「ふむ……良かった。あんたも無事だったんだね」 先ほどはありがとうと手を合わせる。片や親父は未だトリガーを構えていたが、彼女が「はい。任務が終わりましたのでこれから帰還予定です」と無抵抗の証として武器を眼前へ放り投げれば、緊迫した空気は解かれていく。 「方々もご無事で何よりでした」 女は丁重な言葉使いで会釈をした。俺達が無事に紛争地を抜けたか気掛かりで追駆けて来たと言う。こいつも大概暇なんだな、と失礼なことを考えて口角を上げると、以心伝心したのか、彼女もくすりと頬を緩める。ややもして武装解除した親父が筋骨隆々の右腕を差し出せば、 「空閑有吾だ。こっちは息子の遊真。失礼な態度を取ってすまなかった。息子を守ってくれてありがとう。どうぞ武器を拾ってくれ」 「任務の目的がたまたま重なったのです。ですので私は守った訳ではなく……」 「それでも庇ってくれたろう?」 彼女は困惑したように日焼けた右手を眺め、おずおずと握り返した。有卦に入った俺も便乗して握手を求めると、バムスターやモールモッドの表面を撫でた時のようにひんやりとした感覚に包まれた。ぱっと見は無感情な人だ。けれど近くで見れば見るほどその実くるくると表情が入れ代わり魅了される。俺は彼女が年上であることも構わず、 「あんた名前は? 恩人の名前を知らないのは寂しい」と親交を深めるようせがんだ。 「……君島、と。でも私を知る皆さんはメリィと呼びます。どうぞお見知りおきを」 その出会いが今後何をもたらすか知っていればこれ幸いと同道を薦めたろう。だが彼女は巻き上がる煤煙に瞼を伏せ「上官の元へ戻ります。お三方、どうぞ良き旅を」と頭を下げたきり風のように姿を消してしまった。以来、俺は随分と長いこと彼女に会う機会に恵まれなかった。殺伐とした戦地に漂うひとひらの残り香――俺は遠い廃墟へ意識を馳せつつ、乱星国家が歩んだかもしれない別の途をそっと夢想していた。
≪ PREV | 目録 | NEXT ≫