鍾愛point 0 System Down
-小南-
第四話 力なき者
十四年と六ヶ月。それが我らの親友・史桜がボーダーという組織に関わった月日である。過去形にするのも変な話だけれど、あたしの名前を「コナミ」と不思議なイントネーションで発音するあの子は現在の「界境防衛機関」が旧ボーダーと呼ばれていた時代からつかず離れず隣に居た。 あれはまだこの髪が短かった頃――あの頃のあたしは史桜と双月へ全幅の信頼を寄せており、二人ならどんな相手でも立ち向かえると子供ながらに確かな自信を抱いていた。そしてそんな痛快さを与えてくれる友人へ、せめてもの恩返しだと言うようにひ弱な彼女を鍛え上げることに心身を注いでいた。 あたしはキューブの積み重なる無機質な仮想空間で不慣れな孤月を振り払う。少なくとも痴漢撃退くらい一人でこなせるようになって貰わないと気が済まない、と睥睨すると、友人はさして頓着せずトリガーを捏ねくり回した。のみならず、 「でもコナミちゃん。私は痴漢に遭わないと思うんだよね」と議論を根本からなし崩す指摘を返すのだ。 「あのねえ。そういう問題じゃないでしょ。とにかくちょっとは戦えるようになんなさいよ」 無聊を持て余して立ち尽くす史桜に苛立ちが募る。やがて堪忍袋が切れたあたしは理不尽な数の通常弾をほうぼう撃ち放ち、史桜に襲いかかった。 「えっ。それ、ちょっ待っ……」 「やだ、待たない」 長らく影の存在であった旧ボーダー。今では自明のことのように使用している仮想空間も当時は貴重な施設だった。えてしてこの時のあたしは、わざわざそれをフル活用してトリオン器官を持たぬ友人へ護身術を伝授してやろうと意気込んでいたのである。 「よっわーい! あんたちゃんと修行してるの?」 「いやいや……トリオン皆無な私とコナミちゃんを比較するの、鬼じゃない……?」 「何言ってんの。トリオン持ってないからこそ仮想空間使うんでしょ。あんたとあたしは、ここでなら対等なのよ」 「そうだけども」 奇怪なことに史桜という年上の友人、トリオン素質が皆無らしいのだ。測定器に掛けても機器で検査しても、「ト」の字すら見当たらない。技術部は生成器官がそもそも存在しない、もしくは誘拐時に奪われたのだと結論づけたが、それでは近界人に襲来されたらどうするのか。ただでさえ史桜は一度近界へ攫われているのに外敵から身を守る術を持たないなんて。 「いつでもあたしが助けに行けるとは限らないんだから、ちょっとは自分から鍛えるなり何なりしなさいよ」 「けどトリオン持ってないなら攫われないと思うの」 「馬鹿。持っていない人間こそ用済みにされてそのまま殺されるのよ」 「あーそっか」 一方的な戦闘だが決して嫌と洩らさない。それがあたしの知る史桜だった。生意気ばかり口ばしれど、気が済むまでいくらでも付き合ってくれるのだ。そんな友人だからこそ尚更、是が非でも鍛えなければ気が済まなかったあたしは、この新施設へ彼女を引きずり込み、半ば癇癪持ちのように彼女の仮想トリオン器官を破壊していく。そしてあの子はまた一言。この訓練意味あるのかな、と遠い目をして怨ずるのだ。 「だいたい、あんたトリオン器官がないってどういうこと。それって臓器が一つないってことでしょ。肝臓や心臓がないも同然なのにどうして平然と生きているのか不思議だわ」 「そうかなあ。三門市へ戻って来てこの五、六年、特に困ってないけど」 トリオン器官がなくとも死なないと城戸さんが言っていたし、と口答えする友人は真顔で地べたに張り付いたままである。そう、彼女はいつだってひたむきで真摯だ――きっと。だからこそ至極大真面目に「困ったことがない」と豪語する史桜へ付き合わされるあたしの身にもなって欲しい。訓練を始めて三時間、さほど成果が見えぬことに相手の限界を見てあたしは渋々とトリガーを収めた。 「もういーや。今日は成果なしね」 「あれ、訓練終わり?」 「嬉しそうな顔してんじゃないわよ」 「あはは」 史桜は仮想空間が殺風景な箱へ様変わりしていく姿を穏やかに眺めている。 「じゃ、今日のお礼は駅前のチーズタルトで十分よ。次はあんたの兄貴に訓練してもらいなさい。……たぶん、あっちの方が教えるの上手だし」 真実そうなのだ。忍田真史は根気よく、それでいて情熱家であるため、何かを教えるのに長けている。すると「コナミちゃんは強すぎるしねえ」とこの場では慰めにもならぬ台詞を感慨深く洩らす史桜。そんな風に他意なく褒められると頬が熱いじゃない。急降下していたあたしの機嫌も、沁々と呟かれた独り言のお陰でゆるやかな上昇気流へと転じた。 ――八年前。あたしが物心つく前に史桜は近界から生還した。近界の存在そのものが公にされていない昨今、生還者という単語は耳馴染み薄いが、それにしてもトリオン兵へ攫われた人間が「向こう側」で生存している確率は半分以下だと林藤さんが語っていた。その勝率を見事打ち破って「こちら側」へ帰還した史桜は気の置けない友人である反面、一種憧れに近い存在だった。 「ペセルだっけ」 「ん」 終いまで言わずとも通じる。これぞ阿吽の呼吸だ。淡泊な友人はどこから持って来たのか、湯気立ち上る茶飲みへ艶めいた唇を添えたまま簡潔に肯った。 「そこ、どんなところだった?」 酷な話かもしれない、覚えていないことを訊くのは。冷淡な人間と思われるかもしれない、わざと忘れたかも知れぬことを問うのは。史桜はペセルという国の正体も、近界へ攫われた時のことも、あちらで過ごした一年間何をしていたかも、凡てを忘却している。彼女の兄曰くそれは自己防衛であると。人間は心の均衡が保てぬほど辛い出来事に衝突すると自ら記憶を改ざんする癖があるらしい。 「あんた、そんなに忘れたいことがあったの」 これ以上はダメだと心が逸る。いくらあたしが小学生で、相手が中学生とはいえ、やって良いことと悪いことの噛み分けはつくだろう。さりとて彼女は間髪入れずに「え? なんだか記憶喪失みたいな表現だね?」と息を飲んだ。 「な、何? だってそうなんでしょ?」 称賛に値うべき先刻までの自制心がふつと吹っ飛ぶ。何だこいつは。あたしが気を遣ってやれば自分で破壊するとは。しかし史桜は思案投げ首で、うーん、と口篭もって、 「それなんだけど。私は、何かを忘れたいって願うほど辛いことがあったんじゃないと思う」と理解不能な一言を吐いた。 「何か覚えてるってこと?」 「ううん。覚えてないよ」 「ああ……そっか、今度は双月でぶっ斬られたいって意味ね?」 むさ苦しい男ばかり所属するボーダーでこんな掛け合いが出来るの彼女だけ。けれどその時初めて屈託ない貌が曇るのだ。 「覚えてないんじゃなくて。たぶん『私』は知らないの」 常日頃さほど負の感情を表に出さぬ彼女が一寸思い詰めた表情を浮かべる。それはあたしにとって十二分に大事で、人知れず胸裡へ深い衝撃をもたらした。だから子細を求めて追随せんと視線を合わせた折り、史桜はあたしの言を遮るように、 「でもね、最後にペセルを発った時、どんな状態だったかなら話せるよ」と茶目っ気たっぷりに微笑んだ。 「ほんと?! ねえねえどんな景色だった? 文明はどの程度? 現地の誰かと話した?」 偶像と呼ばれる国について知りたかったのは本音である。あたしが瞳を輝かせて畳み掛けると史桜は見渡す限り雪原であったこと、所々黒い点々が続き、それが氷漬いた死体であったことなど、戦争の爪痕を彷彿とさせる描写を交え最後にあの土地で相まみえた光景を語った。 ペセル――何年も前に滅亡した幻の乱星国家。近界には数多のトリガー使いが存在するが、中でもペセルという国は特異であった。というのも、かの土地で産まれた人間は総じて高いトリオン器官を備えているのだ。いわば宝の山であり各国が喉から手が出るほど欲したのである。しかも国そのものが黒トリガーで構成され、姿を消す隠密機能、および類を見ぬ移動速度を備えていた。だからこそ、幻と呼ばれていたわけだ。 だのに、その国がある時期を境に滅びた。生命を育んでいた黒トリガーは消失、唯一残った大陸は墓地と化した。国の存在意義、否、根幹である黒トリガーを失った国は野ざらし状態で放置されているらしい。 「じゃあ……どうして滅びたかも『知らない』んだ?」 頷きさえ億劫なのだろうか。友人はあたしを一瞥すると無言の肯定。 「ねえ。ちょっとは気にならないの? 自分が何でそんな廃墟で倒れて居たのか」 我ながら無茶な問いかけである。誰も知らぬことをどうやって調べよう。それこそ遠征が必要だ。あたしはついぞ無視を決め込んだ友人の首を軽く絞め上げ、そのまま年上の少女へじゃれ寄った。もし史桜が本当に知らないだけで、忘却せねばならぬ記憶なぞ存在しなかったとしても――なぜかあたしは、ペセルの真相なんて知らぬまま彼女に生きて欲しいと渇仰した。 * 茶を飲み干し、いよいよ重い腰を上げて仮想空間を退出せんという時、出入り口に見覚えある男が佇んでいた。「東さん!」と史桜がいつになく花顔を輝かせて駆け寄れば、男は頭上を指差し、 「身体強化もいいが、技術部の連中がお待ちかねだぞ」と目尻を細めた。 「あ、コナミちゃん……」 「あたしに構わず行って来なさいよ、史桜」 「ありがと。また後でね」 「その代わりお菓子忘れんじゃないわよ!」 「ええっ。それ本当に持ってくんだったの?」 あたしから快諾を得ると彼女にしては砕けた笑みを浮かべ階段を駆け上る。その背を見詰める東がくつくつと喉を鳴らした。 「行ってらっしゃい。……トリオン器官がないと知った時は心配したものだが、どうやら問題なさそうだな」 満ち足りた面持ちの東。忍田真史が史桜を発見した際、彼も側に居たと言う。であるからして彼らは互いに身内のような気安さで接している。 「ま、あたしが付いてるから何があっても大丈夫よ。例えまた近界が襲ってきても、全部倒してやるんだから」 「頼もしいやつだ。しかし怖い思いをしたんだ。史桜は二度とボーダーに関わらない選択肢もあったろうに」 「怖い思い、ね」 そう感じているのは案外、周囲の人間だけかもしれない。だが野暮な発言はするまい。あたしは史桜のそこはかとない強かさ、そして年齢に不釣り合いな精神的余裕を知っていたが、自ら他人へ特権を与えてやる必要はないと判じて部屋を後にした。 「にしても林藤さんもよく考えついたものよねえ、史桜にオペレーター業させるなんて」 当時さほど重要視されていなかったオペレーター職。情報共有する技術も未確立なこの時代、サポート業務であるため目立った活動はなし、誰もが億劫と感じるのに必要性を見直されつつあった。今は立候補者の中から何人か試験的に活動しており、史桜もその一人だった。 「お陰で史桜と組めるからあたしは嬉しい――な、なんて絶対言ってやんないんだからね!」 「一人でなに叫んでんだ、小南?」 「あっ林藤さん!」 噂をすれば何とやら。玉狛本部へ顔を出した眼鏡男は含み笑いを零し、大きく広い掌であたしの短い髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。 「はは~んその格好……まーた史桜をしごいてたのか」 「人聞き悪いこと言わないでよ、林藤さん」 「んなこと言っても、あれもうお前のストレス発散だろ」 「な……! 違うわよ! あたしはちゃんと史桜に強くなってもらいたくて……!」 「おうおう。分かってる、分かってるって」 史桜に対する真摯な気持ちを疑われては幾ら林藤さんでも悲しかった。じんわりと瞳が潤むのに耐えていると大好きな先輩が慌てふためいて、あの手この手で慰め始めた。 だからあたしは心を決める。史桜が理解してくれてればそれで構わない、と。でも史桜はありふれた凡庸な子だ。歳の離れたあたしと比べても体力や頭脳に突出したものはない。だから業務の有用性が上層部に認められれば優秀な人材が宛がわれ、いつしか彼女は役目を降ろされるかもしれない。 だけどあたしはあの子と共に戦えることが――同じ空間にいなくとも背中合わせで戦っている感覚が――この上なく嬉しかった。それゆえに、この幸せがずっと続くものだと盲信していたのだった。ボーダーの存在が公になった、あの日までは。
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